嘘は言ってない
本当のことを言わないことと、ウソを付くことが同義だと言われて少しショックを受けたたつやです。
今回は、高校での僕の立ち振る舞いの話をしようと思います。
立ち振る舞いとか言っちゃうと、なんか作られた自分みたいで嫌なんですが、実は自分のことをある程度隠していました。
理由は簡単です。
小学校とか中学校の時は、貧乏なこととかが原因でイジメが始まったり、イジメがイジメのきっかけになったりしたんです。
だから、高校では、必要以上の家庭のことは言わなかったし、元々イジメられていたことも言いませんでした。
嘘ついてるわけじゃないし、別にいいよね的なやつです。
実際、これは正解だったと思います。
まだ高校の友達は、僕が元々イジメられていたことを知らないです。
でも、それでいいんだと思います。
聞いて嬉しい話でもないし、話して楽しい話でもないし。
そういうこれまでの自分とは決別したくて、自分を知ってる人がいない環境に飛び込んだので、自分から蒸し返すようなことはしたくなかったんです。
これくらいなら、別にいいよね?
悪いことしたわけでも、嘘ついたわけでもないので、セーフということで!笑
それに、自分を100%表現している人なんてほとんどいないと思います。
何かしら、人に言いたくないようなことは抱えているだろうし、本当の意味での素の自分をそのまま曝け出している人なんて稀ですからね。
その輪の中にいる作られた自分も、自分の中の一人であることに間違いはないというのが僕の持論です。
多重人格ってほど極端じゃなくても、
・家族といるときの自分
・友達といるときの自分
・恋人といるときの自分
色々あって当たり前だと思います。
全部自分なので、どれも大切にすべきです。
その中で、本当の自分(というより、一番わがままな本音の自分)の声に耳を傾けてあげることも大事です。
そこは、意識すべきかなとは思ってます。
・・・なんの話をしていましたっけ?笑
あ、そうか、高校で昔の自分を隠して過ごしていた話でしたね!
どれも本当の自分とは言いながらも、過去の自分と今の自分は違うものです。
過去に縛られずに、今の自分に意識を向けることってめちゃくちゃ大事なので、そんな話をしようとしていたんでした。
ということで、ほとんど結論言っちゃいましたが、本日のまとめです。
作られた自分は誰にでも存在します。
それは別に”嘘の自分”ではなくて、その場面に合わせた自分の中の一人なんです。
どこで自分の線引きをするかにもよりますが、”自分”を特別視する必要はありません。
わがままな本音を言う自分を大切にしながら、色んな状況に応じた自分も全部大切にしてみてください。
高校の頃の自分は、過去の自分を線引きして、今こうありたいっていう自分になろうと頑張っていた感じです。
自分自身に嘘をつき続けるより、それくらい割り切った方がいいよという共有でした。
ご拝読いただき、ありがとうございました!
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