100点じゃなくてもいい、自分の点数は自分で決める
何事も出来たか出来てないかで判断してしまっていたたつやです。
今回は、何事も0か100かで判断することはプロ意識でもなんでもないよって話をしようと思います。
そもそも、みなさんは0か100かで判断するタイプですか?
僕自身、もともとそんなタイプでした。
というより、社会に出て、真っ先に教え込まれたのが「社会人は100点が当たり前」という考え方でした。
今なら言えますが、それは間違いです。
いや、厳密には、100点が満点じゃない時点で、前提がズレているんですよね。
いつ何時も満点を取り続けるなんて不可能です。
でも、会社が言う100点が、求められている及第点という意味では、それは50点かもしれないし、30点かもしれません。
そのあたりをはっきりさせずに100点という表現だけされるから、心理的な圧迫感だけ残るんですよ。
ここで僕が言いたい0か100かの100は、満点の意味ではありません。
及第点の意味です。
ただ僕は、この及第点という意味合いでも、100を取る必要はないと思っています。
というより、取れなくても仕方ないと思っています。
人によって能力もなにもかも様々なので、及第点のハードルの高さが違い過ぎるんですよ。
だから、当たり前に出来ることが、自分にとっての当たり前じゃないし、相手にとっての当たり前じゃないんです。
それは、元気に挨拶できるかどうかとか、すぐ出来そうなことでも同じです。
声にコンプレックスがあって、大きな声を出すことにトラウマがあるかもしれない。
喉に障害があって、そもそも大きな声が出せないかもしれない。
色々事情があって当たり前なんです。
「当然できるでしょ?」ってスタンスは危険なんですよ。
それで、0か100かで判断しちゃうと、もし99で出来ていなかったとしても0と同じじゃないですか。
もちろん、見方によってはそうなるのも分かります。
世の中きれいごとだけじゃないことも分かっています。
それでも、僕は過程や得られた経験、知識、思考の変化、感情の変化、そんな色んな要素は無駄じゃないって思ってます。
結果が全てじゃ悲しすぎるし、そもそも結果を求めていたのは人なら、その価値を判断するのも人なんです。
じゃあ、自分がその価値を判断してもいいじゃないですか。
少なくとも、自分自身に関わることは自分で決めちゃいたい。
そう思うようになりましたね。
誰に分かってもらえなくても、ちゃんと頑張った経験は残り続けるんです。
それが大事。無駄じゃない。
そう叫びたくて、この記事を書き始めました(笑)
ということで、本日のまとめです。
世の中成果主義です。
会社という枠組みで見た時、成果ありきの経験なのは仕方ないです。
でも、個人として、自分自身の主観で考えていいんです。
どんなことも無駄じゃないです。
全部が自分に繋がっていて、その全部が積み重なって今の自分が作られているし、未来の自分に繋がるんです。
0か100かの思考より、自分が何を得たのかを考える方が、精神衛生的にも絶対いい。
思いつめる必要ないので、”自分の世界”をもっと自由に生きていきたいですね!
そんな僕の考え方のお話でした。
ご拝読いただき、ありがとうございました。
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