直感を疑う力
日本の生産性向上を邪魔しているのは「リテラシーの質」だと思います。「リテラシー」をググると読解記述力と出てくるんですよね。
情報を読み解き、理解し、説明する力という感じでしょうかね。
「リテラシーが低い」なんて表現がまかり通っていうるようですが、僕は高い低いで論じられるような単純なものではないと思います。「リテラシー力」=「論理的思考力」と捉えてしまうと何も解決しない。
読解の入り口は直感
直感的な判断を論理的に理由づけしてしまうのが人間の本能。だから直感がエラーを起こしていると、いくら論理的に整合性をつけても間違った判断を行ってします。
直感的な「お気持ち」を優先していて生産性が上がるわけがない。
直感のエラーを修正するために、まず必要なことは個々人がアイデンティティを確立することです。
アイデンティティは直立感
僕が強度の鬱に苦しみを克服したのは、野口整体の稽古のおかげという話は何度もしていますが、入門当初に、嫌というほど叩き込まれた教えがあります。
「何ものにも寄りかからない身体を育てよ」
イデオロギー、地位、職種、性別、年齢、健康、学歴、能力、立場、生まれ育ち、人種といったあらゆる「意味づけ」に、寄りかからない身体を育てることが出来て、初めて野口整体の入り口に立つことができる。
鬱にも色々な段階があると思いますが、僕の場合は、自分や自分の人生、意味づけが出来ない状態になっていたのです。
意味は虚像、身体が実相
この考えは、のちに北京電影学院の客員教授になったことをきっかけに始めた映画の研究でさらに深まりました。
意味はただの道具。道具の主は身体。
この単純な事実を伝えるために滅茶苦茶苦労しています。
サピエンスにとって、意味は集団形成=安全保障の礎だからです。
意味の重要性を理解しながら、その意味が間違っていたり、古くなって役に立たなくなったらとっとと、次の意味に移動したらいい。でも出来ない。
それは身体の中に直立感を養う技術を体得していないからだというのが僕の結論です。