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加被一体
世間を賑わせているニュースに思うところがないわけではないが、真相が明確でない以上多くを語れないもどかしさがある。加害者は相応の罰を受けて然るべきであるし、被害者は守られ補償を受けるべきだ。だが同時に加害者だからと言って過剰に罰せられる必要はないし、被害者だからと言って無限に攻撃をする権利が認められるわけでもない。加害者は被害者になるべきではないし、被害者だって加害者になってはならない。況や当事者ではない第三者をや、である。
誤解のないように再度名言しておくが、加害者は相応の罰を受けて然るべきであるし、被害者は守られ補償を受けるべきだ。加害者を擁護するつもりはないし、被害者を責めるわけでもない。しかし加害者も被害を被ったなら守られ補償を受けるべきだし、被害者も加害をしたなら相応の罰を受けるべきだし、そもそも加害者も被害者になってはならないし被害者も加害者になってはならないという話だ。とは言えややこしいのは、現在発現している諸々は当事者が直接何かをしたわけではなく、周囲の人間や、全く関係ない週刊誌のリークによって火が付けられ、そこに第三者たちが群がって好き勝手言って大きな炎になってしまったということだ。それぞれの正義の御旗のもと善意で他者を攻撃する衆愚を止めるのはとても難しい。マスコミが火をつけ、衆愚が尖兵となって攻撃をして誰かを社会的に抹殺するシステムが完成してしまったことはとても恐ろしいことだと思う。社会的に抹殺されても仕方ないようなことをしたのだとしても、それは私刑ではなく公刑によって成されるべきだ。そうならないように組織ぐるみで秘匿隠蔽していた疑惑で叩かれているのがテレビ局というマスコミであるのも皮肉な話だ。マスコミによって隠されていたものがマスコミによって暴かれ、真相は分からないままあちこちに火の手が上がる。そして人々はワイドショーにかじりつき、週刊誌を手に取るのだ。本当に忌々しいが、なんて良く出来た汚いシステムなんだと思う。
被害者と加害者、とりわけ被害者の加害性に関しては最近よく考えている。いつか書いたことだが、僕は「自分の言動で意図せず大切な人を傷つけてしまった時にとても傷つく」という面倒臭い特性を持っている。自分が加害者になってしまった時に、同時に被害者になってしまうのだ。と言ってそのタイミングで自分の被害をアピールすることは相手をより加害してしまうことになりかねない。ならば自分の心的被害は黙って受け容れるしかないのだろうか。そこには被害を被った自分が残ってしまうのに?自業自得、自分のやったことに対して相応の罰を受けているだけだと言えばそうなのかもしれない。例え悪意がなかったとしても、他人を傷つけることは悪いことで、相応の罰を受けるべきことだ。でもそれでは、「傷つきました!」「被害を受けました!」と先に言ったもん勝ちじゃないか。伝え方の問題だろうか。それはそうかもしれない。しかし自分が傷ついてダメージを負った状態の人間に、相手を傷つけないように配慮した伝え方を求めるのは酷な要求だ。結局加害者の被害なんてものは必要罰で、黙って受け容れるしかないのだろうか。答えはない。
興味はない、どうでもいいとは思いつつ、スマホを開けば雑多なニュースが飛び込んでくる情報化社会。嫌なニュースが目に入って嫌な気持ちになったりするものですね。世事に過剰に惑わされず、路地裏で見かけた猫が可愛かったとか、うどんが美味しかったとか、そういう幸せを大事にしていきましょうね。
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