怪電波
数年前、僕は地下鉄のとある駅の構内で混雑整理をする仕事をしていた。
ホームに降りる階段を壊して新しいエスカレーターを作る工事をしていて、もともと階段とエスカレーターを両方使えていたのがエスカレーターだけになり、その分人が集中して混雑してしまう。朝夕のラッシュ時に、「2列に並んでお進みください」「押し合わないでください」「前の方に続いてお進みくださーい」みたいなことを言って、混雑を整理するのが僕たちの役割だった。
「半蔵門線に乗りたいんだけど、ここはホームに降りる階段はないの?」ある時、50代くらいの身なりのいいおばさまに声をかけられた。エレベーターの有無を聞かれることはあっても、階段を聞かれるのは珍しい。とは思いつつも、階段は工事中であること、ホームへの動線はエスカレーターだけになっていること、ぐるっと回った先にエレベーターもあることを手短に説明した。
「あらそう。困ったわね…」おばさまは言った。何が困るんだろう?「ほら、エスカレーターはね、電波が出ているでしょう?私は脚が良くないからエスカレーターは使えないのよ…」そっち系の人だったか!『電波系』だなんて言葉もあるが、ほんとに電波を避けようとするタイプの電波系の人には初めて出くわした。だいたいここは地下鉄の駅だぞ。エスカレーターの電波をどうにかしたところで電車の電波はいいのかよ。いろいろな想いが逡巡したが、変な人だからと言って邪険にするわけにもいかないのが世知辛いところ。
「申し訳ありません、階段は工事中なんです」「もしどうしてもお嫌でしたらあちらの有楽町線なら階段でホームまで降りられますが…」などと、なるべく丁寧に対応し、おばさまはぶつぶつ言いながらも渋々エスカレーターでホームに降りて行った。よしよし、我ながら悪くない対応だった。なんて満足していたら、ややあってホームが何やら騒がしいのに気づいた。ひょっとしてさっきの人が下でも何か騒いでいるのかな…。そう思って様子を見に行くと、どうやらさっきのおばさまが、良くない電波にやられたらしく、エスカレーターの下で溶けてバターになっていた。
その一件以来、僕はなるべくエスカレーターは使わないようにしている。
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