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小説を書こう

小説を書こうと思った。ふらりと入った駅前の本屋で川上未映子さんの文庫本が何冊か平積みになっているのを見た時だった。そうだ、小説を書こう。だがどんな小説を書くのだ?処女小説にありがちなのは、自身の半生をモチーフにそのまま書くような小説だ。それだ。それなら今すぐにでも書けそうだと思った。

小説を書こうと思った僕がまずやったことは、小説家として成功した自分を妄想することだった。僕の書いた小説は大ヒットし、映画化が決まる。僕自身をモチーフにした『僕』を演じるのは菅田将暉とか星野源とか高橋一生とか、その辺の売れっ子俳優さんだ。しがない作家の自伝的小説が映画化した時に主役が作家とは似ても似つかぬイケメン俳優にすげ替わるのはままあることだ。そこは大目に見てもらおう。主人公が小説を書こうと天啓を得る場面から物語は始まる。リアルそのままに本屋さんで始まるのは少し味気ない。本屋さんはオープニングにして、散らかった安アパートのベッドに寝転がったところで、「小説を書こう」が降ってくることにしよう。引きの画からギャギャギャッとアップになって、小さくひと言、「小説を書こう」とつぶやく。かっこいいギターイントロがカットインして映画は始まる。主演俳優のおかげもあって映画はそこそこヒットし、パッとしない主人公を等身大で演じてくれた主演俳優は日本アカデミー賞の主演男優賞にノミネートぐらいはされて欲しい。作者自身とビジュが違いすぎだろとネットで叩かれることぐらいは目を瞑ろう。

処女小説でそのまま大きな賞を取るのもいい。芥川賞か直木賞か。どっちの賞がどういう作風の小説に与えられるものなのかを僕は知らない。どうでもいい。僕はただ僕の書いた小説を評価して欲しいだけ、そしてちやほやして欲しいだけだ。腐っても元芸人、舞台役者だ。受賞の会見でひとつかふたつ笑いを取れれば少し話題にもなるだろう。テレビ番組の文化人枠のコメンテーターで呼ばれるようになったり、千原ジュニアさんのyoutubeに呼ばれて対談させてもらったりしよう。そんな活動が出来るのはせいぜい1、2年だ。稼がせてもらって名前を売って、雑誌にコラムでも書かせてもらって、それをまとめたエッセイ本が2冊目の本になって出版される頃には流石に書き物だけで食えるようになっているだろうか。まだこのnoteを続けていたら、投げ銭や有料記事でももう少し稼げるようになっていることだろう。書斎のある部屋に引っ越して、小洒落たインテリアを揃えて執筆に集中出来る環境を整えよう。演劇もやっていたならと脚本のオファーをもらってうっかり快諾して大コケしたりしそうだからそこは気をつけよう。才能や成功に惹かれるような女がいたら結婚してしまうのもいい。しかしこれもよくよく相手を見極めることにしよう。

ひとしきり妄想を書き終え、朝マックのコーヒーをひと口啜る。もうすぐ仕事に向かわねばならない。今日の僕は小説家ではなく劇場スタッフだ。朝の通勤電車の1時間弱でここまで1200文字を書き上げた。小説1冊に必要なのが10万文字だとして、このペースで書くなら80余日掛かることになる。たった80日!こちとら1500日近く毎日文章を書いてきたのだ。たった80日でいいのか。出来る、それなら出来るぞ(結局ここからさらに書いたことで1500文字になった。10万文字書くには66日でいいことになる)。小説を書こう。大いなる栄光の架け橋の端っこに僕は今手を掛けている。誰かにちやほやされるため、何者かになるため、金を得るため、そんな浅はかで偉大な目標のために、これまでの取るに足らない人生を切り貼りして小説を書こう。それはきっとたくさんの、僕と同じような取るに足らない人たちの希望になるはずだ……なんてそれっぽい免罪符を貼っておけばいい。この文章をそのまま冒頭にして、僕は小説を書く。途中で詰まって投げ出さなければ。

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うえぽん
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