ダニー・ウィルソンの話
ダニー・ウィルソンはウェールズ出身のサッカー選手。現在はJリーグの強豪浦和レッドスターに所属している。31歳。ボジションはディフェンダーだ。
小さい頃から体格に恵まれ、体格を活かした空中戦の強さとパワフルな守備で世代別の代表にも何度か選ばれてきた。しかしスピードのなさとポジショニングの雑さから伸び悩み、プロになってからも地元の2部リーグのチームを転々として過ごしてきた。27歳の時にJリーグのジェムユナイテッド千葉に移籍。そこで2年過ごした後、ETU、イースト・トーキョー・ユナイテッドに移籍する。シーズン半ばからスタメンに定着すると、低迷していたチームの守備力に安定感をもたらし、残留に大きく貢献して評価を高め、浦和レッドスターへのステップアップを果たした。
その日ウィルソンは鹿島スタジアムにいた。鹿島ワンダラーズ対ETU。Jリーグ1位と2位の直接対決、ETUが勝てば首位が入れ替わる天王山だった。ウィルソンは試合で負った軽い打撲で10日間の休養を与えられてチームからは離脱しており、かつてのチームの試合を観戦しに来ていたのだ。
浦和レッドスターはアジアチャンピオンズリーグも制したJリーグの強豪だが、今シーズンは新監督を迎えて大躍進するETUの後塵を拝しており、直接対決も1分け1敗で負け越している。鳴り物入りで迎えた新戦力もフィットしたのはウィルソンぐらい。ドイツから復帰した元日本代表の田中もコンディションが上がらぬままベンチを温めている。
かつての仲間たちが、強豪鹿島相手にも臆せずにピッチで躍動している。もしも自分があの時、移籍せずにチームに残るという選択をしていたなら、同じピッチで首位を賭けて鹿島と争っていたのかもしれない。タラレバの話をしても仕方ないが、ウィルソンは歯がゆかった。浦和は過渡期にあった。2年前にリーグ優勝、アジア制覇を成し遂げたメンバーは歳を重ね、或いは海外へステップアップし、チーム戦力は明らかにスケールダウンしている。もう一度戦力を整え、若手を育成し、新しいチームに生まれ変わる必要がある。その間を繋ぐ戦力として期待されているのが自分の役割なのだということをウィルソンは理解していた。しかしそれでも、浦和でなら優勝を目指す戦いが出来ると思って移籍を選んだのだ。今それをしているのがETUだというのは何とも皮肉なものだ。
一進一退の攻防が続き1-1で迎えた後半、ETUの勝ち越し弾が決まった。1-2!決めたのは今季大ブレイクを果たして代表にも選ばれた超新星、椿だった。光るものはあるが気弱で判断力に欠ける若手、というのがウィルソンの印象だった。チームメイトだった昨シーズンも、椿はほんの数試合しか出場していないし、ほとんど会話を交わした記憶もない。まさかここまでの選手だったとは。椿の見事なゴールに沸くスタジアムで、ウィルソンは酷く冷静だった。
太ももがズキズキと痛む。先週の試合で相手FWのシュートに飛び込んだ際に相手に蹴られたものだ。こんなことで休んでいる場合じゃないのに。自分ももう31歳。こんなふうにスタンドでのんびり試合を見ている場合じゃない。選手として残された時間はおそらく限られているのだ。コンディションを整え、一刻も早く、1分1秒でも長くピッチに立たねばならない。ETUの仲間たちに負けていられない。太ももが痛む以上に、ウィルソンの胸には様々な感情が渦巻いていた。結局彼は最後まで試合を見ずに、後半の途中でスタジアムをあとにした。
浦和レッドスターは結局シーズンを4位で終えた。しかしウィルソンはリーグのベストイレブンに選ばれ、10数年前ぶりに代表への復帰を果たした。代表復帰の短いインタビューで彼は、あの日スタジアムで見たかつてのチームメイトたちの輝きに刺激を受けたおかげだと語った。ETUのリーグ優勝におめでとうと言い残して飛行機の搭乗ゲートに向かったウィルソン。31歳、彼は今キャリアの絶頂にいる。
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