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「ただし、探す場所を間違えてはならない」

自分と似た人間を見つけるのも、創造という行為の一部である。自分と似た人間はどこにでもいる。ただし、探す場所を間違えてはならない。

――ヘンリー・ミラー
(アメリカの小説家)

みなさんは、周りに仲間と呼べる人が、どのくらいいますか? 戦友と呼べる人は?
友達とはちょっと違う。時に争い、時に協力し合いながら、共に同じ方角へ歩み続けられる存在――。
仲のいい友達がいても、未来のヴィジョンを共有できる仲間がいない時、人は孤独を感じることがあります。(もちろん、その孤独を真っ白に塗りつぶすために、やたらと友人関係を強化するべく振舞う、というのも、よくある話です。)

「僕の思いを分かってくれる人なんていない、この先もずっと孤独なままだ。誰も理解してくれないヴィジョンなんて、持っててもしかたない。いっそのこと捨ててしまった方が……」
ちょっとちょっと! 待ってくださいよ。仲間を探す場所を、間違えてやしませんか。
クラスにいない? 部活にいない? 学校にいない?
それはきっと、探す場所を間違えているんですよ。
高校生になれば、学校外の人と繋がる機会は、一気に増えます。他校の高校生だけではありません。大学生や社会人の人たちとやり取りできるような場もたくさんあります。
学校は、みなさんの可能性の土台を固める場所です。間違えても、みなさんの足まで一緒に固めてしまってはいけない。土台は、その上に建物を築くから、その上でダンスを踊るから、意味を持つんです。その上で高くジャンプするのも、土台から飛び降りてみるのも、自由です。
ところが、土台に足を引っ張られている人がうようよしているように見えて仕方がない。

「学校の外なんて、そんなの無理……」
と口走ってしまう人は、得てして土台が固まっていないことが多いです。部活でも行事でも、一度は全力を傾けた経験がないと、その土台の上で自由に振舞うのはなかなかに難しい。
逆に、力を出し切った経験は、自分に対する信頼をくれます。薄くて低い壁は、壊してよし乗り越えてよし、です。
さて、すぐにやってくるその時のために、まずは一歩目を踏み出してみましょうよ。

Photo by Aziz Acharki on Unsplash

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