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「僕が知りたいのは先週何をしたかなんだ」

作品を見せてくれと言うと、みんな学生時代や別の仕事の成果を見せてくる。
だけど、僕が知りたいのは先週何をしたかなんだ。

――ゼイ・フランク
(アメリカのオンラインパフォーマンスアーティスト・作曲家・ユーモア作家・講演者)

今日の言葉に「ドキッ」とするのは、既に何かを成し遂げたり、作り上げたりした経験のある人かもしれません。
一度、それなりに満足のいくものを作り上げると、次に何かを完成させることが怖くなることがあります。たまたま高得点が取れたのに、二回目、三回目のチャレンジで平均点を下げることになってしまうのではないか。せっかく自分の力に対する信頼を得ることができたのに、二回目、三回目の作品で再びその自信を失うことになってしまうのではないか。
自分の中の最高傑作やベストパフォーマンスが更新されないままに、一年、二年と時間が経ち、かつての成果が、今なにもしないことの言い訳になってしまう……。

人は人を、何によって評価し、何を基準にして選ぶのでしょうか。
これまでの人生で何を生み出してきたか、というのは確かに重要です。ですが、全ての人間関係は、未来へ向けて開かれています。選ぶ側の人間が見るのは、その人の可能性です。その人の変化量をグラフで捉えるとするなら、過去に大きな変化をした人よりも、現在に近いところで変化し続けている人の方が魅力的です。

日本人は、あまりアートを購入しません。価値の定まらないモノにお金を投じるのが苦手だからでしょうか。あるいは、自ら価値を決めることが怖いからかもしれません。
まるで、格付けのための基準があるかのような、そして、その通りの格付けができない人は、その人自身が二流、三流であるかのような、そんな歪んだ価値観が透かし見えます。もしかすると、「審美眼」や「目利き」なんていう言葉があるせいかもしれません。
アートを購入するという行為には、もちろん自分の価値観の表明という部分もありますが、特に若いアーティストの作品の場合には、可能性を買うという部分も大きいです。「まだ粗削りだが、この先が楽しみだ。ぜひ応援したい!」そうなれば、当然、五年前の作品ではなく、最近の作品を見ます。今何を作っているのかを聞きます。そして、未来の傑作を楽しみにするのです。

そうは言っても、「僕はまだ何も……」という人も多いと思います。
そういう人は、インプットし続けることも大切です。
「映画、好きなんですよ」
「そうなんだ。最近、何見た?」
「ええと、去年見た映画なんですけど……」
これ、わりとよくあるやり取りなんですが、結構、がっかりするんですよね。

Photo by Joseph Pearson on Unsplash

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