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若くなくても、諦めない

多くの人が、仕事始めだったであろう昨日、僕もひっそりと仕事始めとなった。来月上演予定の朗読劇の脚本に取り掛かったのだ。といっても、まだ台詞を書くところまではいっていない。構想を練っている段階だ。


ところで、ドラマ『SHOGUN  将軍』でゴールデン・グローブ賞テレビドラマ部門の主演男優賞を受賞した俳優の真田広之は、英語でこうスピーチした。

「世界中の若い俳優、クリエーターの皆さん。どうか自分らしくいて。自分を信じて。諦めないで。グッドラック」

簡潔で素晴らしいスピーチだ。だが、1点気になることがある。最初の呼びかけだ。

「世界中の若い俳優、クリエーターの皆さん」

言わんとすることは分かるし、その通りだ。ただ、何故「若い」と言わなくてはならないのか。確かに若いと、ぶち当たる壁は堅固で、高い(ように見える)。自分の力ではもうダメか、と思わされることが多い。それでも、自分らしく、自分を信じて進む。それさえ間違えなければ、きっと道は開ける。若ければ、そう思えることも多いだろう。

逆に、僕くらいの年になってしまうと、壁を目の前にして、諦めてしまうことも増えてくる。「自分らしくいて。自分を信じて」いてもダメなことは多いと、経験的に知っているからだ。けれど、敢えて「若い俳優、クリエーターの皆さん」と言われてしまうと、ちょっとがっかりする。意図は分かるが、年寄りの出る幕はない、と言われているような気分になるのだ。ただのやっかみかも知れないが。


クラーク博士も「少年よ、大志を抱け」と言った。老年は抱いてはいけないのか、と意地悪くツッコみたくなる。若者は、自分が何者か分からないし、どれ程の実力・運を持っているのかも分からない。謂わば未知数の存在だ。だから、そんな若者を力づけ、背中を押してやるために、こういう言葉が生まれるのだ。

けれど、もう自分が何者なのかを嫌と言うほど思い知らされ、自分の実力も運も、あらゆるところで比較され、暴露され、およそ可能性というものを食い潰してきた感のある老人に対しては、年寄りの冷や水を避けさせるために、多くの人が口をつぐむ。または、冷たい目で一瞥をくれて通りすぎる。自分でも分かっているだけに、他人のこうした仕打ちが、実は結構堪えるのだ。


真田さんは、せめて「若い」と限定して欲しくなかった。

「世界中の俳優、クリエーターの皆さん。どうか自分らしくいて。自分を信じて。諦めないで。グッドラック」

でいいではないか。年齢を重ね、経験を積めば、「自分らしくい」ること、「自分を信じ」ること、「諦めない」ことが自然にできるようになるかといえば、そうではない。年齢を重ね、経験を積むことで、物事をうまく進められ、成功に近付くかといえば、誰もがそうではないのは明らかだ。逆に挫折や躓きも多くなる。

そんな時に、今一度自分を奮い立たせ、「自分らしくいて。自分を信じて。諦めないで」いることができれば、もしかしたらまだ手にしてはいない「成功」を掴み取れるかも知れない。

若くなくても、そう信じたい時はある。

「Elderly people, be ambitious!」

でもいいではないか。

いくつになっても、諦めない。

諦めが悪い年寄りは、文字通り「往生際が悪い」ととられてしまうことも多い。それでもいい。本当に往生するまで、諦めたくはない。

(写真 がん もと)

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