保邑リュウジ

脚本家。主に舞台の脚本を執筆するが、動画のシナリオや、声劇・ラジオドラマの脚本も手がける。 エンタメ系が得意。 よく聞くのは、J-POP、ロックからデジタルサウンドまで。 尊敬する脚本家は野田秀樹。

保邑リュウジ

脚本家。主に舞台の脚本を執筆するが、動画のシナリオや、声劇・ラジオドラマの脚本も手がける。 エンタメ系が得意。 よく聞くのは、J-POP、ロックからデジタルサウンドまで。 尊敬する脚本家は野田秀樹。

最近の記事

小説よりも、「台詞」と「ト書き」の世界

間もなく9月も終わる。早いものだ。 今月は、脚本を2本書いた。今、3本目を書いている。家の事情があって、結構忙しくなってしまい、ゆっくり創作活動をしている時間もなくなってきた。昨年はpixivに小説(もどき?)を書いていたのだが、特にバズった作品はなく、そのうち脚本の方が忙しくなったので、小説は書かなくなった。書かなくても、特にこれといった感慨もない。焦りもない。 僕は、あまり小説には執着心がないらしい。というか、そもそも小説を書くことがあまり得意ではないらしいのである。

    • オトコが書いた、“ザ(ジ?)・オンナ”

      9月になったと思ったら、もう間もなく中旬に入る。1年の残りが少なくなるに従って、時間が過ぎるスピードも速くなっていく感覚だ。 先月、僕が純真舞台さんに書き下ろした朗読用の新作戯曲について、出演者の1人からこんな発言があったと聞いた。 「私がやる役は、“ザ(ジ?)・オンナ”って感じ。この中でどの役がやりたいかっていったら、この役です」 とても光栄な言葉をいただいたが、“ザ(ジ?)・オンナ”の役を書いたのは、男の僕である。本当に、僕は「オンナ」を書けているのだろうか。 そ

      • 相思相愛。男と女と、五分と五分〜中上健次『軽蔑』〜

        暑い最中だが、本の話をしよう。 中上健次『軽蔑』(角川文庫)。写真では古本のように見えるが、そうではない。2011年の再版を新品で買い、つい最近までしまわれていたものを、思い出して取り出し、読んだのである。保存状態がよくなかったので、13年で表紙や帯がボロボロになってしまった。   そもそもこの本を買ったのは、廣木隆一監督で映画化されたものを見て、その原作を読んでみたくなったからだ。結論からいうと、原作と映画は全くの別物だった。今だったら大問題になるくらい、映画は原作とかけ離

        • 何故か、恋愛もの

          8月も上旬を過ぎるというこのタイミングで、何とか2本の朗読劇用の脚本を書き終えた。まだ微調整は入るかも知れないが、予定よりはかなり巻いている。というのも、この後、急ぎの案件が入っているので、できるだけ早くそちらに移りたかったのもある。 かといって、やっつけ仕事にはしたくなかったので、自分の中の想像力の歯車を、目一杯高速で廻して、まるで輪転機から新聞や書籍が印刷されてくるように、どんどん書き付けていった(正確には、「打ち込んでいった」ということだが)。 今回も、先方からテー

          「恋愛」はしゃんとしない〜ヒコロヒー『黙って喋って』読後感想〜

          7月も下旬に入ろうとしている。ここのところは、スキルシェアサイトからの執筆依頼も一段落したので、かねてより依頼のあった例のユニットさんからの脚本の構想を練ろうとしていた。やはり生成AIの影響があるのかな、と思っていた。すると、いきなりそのサイト経由で2件依頼が来たので、急にスケジュールが立て込んだ。嬉しい悲鳴ではあるが、こうなると、早く書かなくてはというプレッシャーがかかってくる。そうすると、不思議なもので、何も浮かばなくなる。あと1ヶ月弱で仕上げねばならない。何とかしなくて

          「恋愛」はしゃんとしない〜ヒコロヒー『黙って喋って』読後感想〜

          生前に評価されるには

          7月になった。 スキルシェアサイトで受注した脚本の執筆に取りかかっている。一部センシティブな内容を含む社会派の作品なので、注意深く進めている。 考えてみれば、僕もだいぶ長い年月、執筆を重ねてきた。実際に上演されたのを確認したもの、どうなったかは分からないが、とにかく書いて納品したものを含めると、相当な数になる。それなのに、ちっとも有名にはならない。これは、僕の力不足なのは間違いないが、それでも大抵の作品は、好意的に受け入れられている。名前が知られないのは、多くの人に知って

          生前に評価されるには

          鬼が笑う話

          今年12月上演予定の脚本の手直しも終わり、僕は今、純真舞台さんからお願いされている、2025年上演予定の新作を考えているところだ。まだ詳しいことは何も言えないが、おそらく来年後半に上演されることになるだろう。今年の12月に第1回本公演を行ってから、第2回まで、また間が空くことになりそうだという。 だから、まだだいぶ時間があるように思えるが、実はそうでもない。あちらのスケジュールでは、来年初め頃からキャストのあたりをつけ始めたいのだという。ということは、それまでに脚本が、最低

          人から「盗む」

          スキルシェアサービスで受注した脚本が一段落したので、今度は、年末に予定されている純真舞台さんの脚本の手直しをしている。この脚本は、コロナ禍のさなかに書かれ、上演されることを前提にしたものなので、細かい設定の中に、コロナ時代の話が入っている。今そのままやってもいいのだが、時代感が出過ぎて、ちょっと苦しい。そんな部分も含めて、改めて全文を読み返しながら、台詞の微調整を行っているところだ。   ところで、前回のnoteに書いた、キラーコンテンツを封じて自分が書きたいもので勝負する、

          人から「盗む」

          思いもかけない可能性

          やっとスキルシェアサイトで受注した脚本の仕事が一段落した。生成AIが盛り上がっているので、僕の仕事もいつまであるのだろうかと、戦々恐々としている。 それはさておき、このnoteの記事が、ある人の記事によってピックアップされた。そのことで、たくさんの方が紹介された記事を読んで下さっただけでなく、僕の記事を遡って読んで下さった方もいて、「いいね」の数も増えた。とても嬉しかったし、選んで下さった方に感謝している。 ところが、その方が先日記事をアップし、その中で、他人の記事を紹介

          思いもかけない可能性

          作品中の言葉に触れて

          1週間のスタートは雨になった。 先週末、以前書いた「銀河鉄道の夜」をベースにしたオリジナル朗読劇の脚本が、漸く脱稿した。ベースになっている作品のイメージが強いので、そこに寄せつつ、どこまでオリジナリティを発揮できるか、という難しい作品だった。幸い、クライエントさんには喜んでいただけたみたいで、ホッとしている。今週からは、全く別の脚本に挑む。今度は、(多分)オリジナルの詩からインスパイヤされる、芝居のオリジナルストーリーをオーダーされた。これはこれでなかなか難しい。 難しい

          作品中の言葉に触れて

          三つ子の魂百まで

          今日は「こどもの日」だ。子供が毎年のように減っていてニュースになっているが、当然の成りゆきである。僕も、子供は持てなかった。だから、こうして作品を生み出し続けることができているともいえる。 自分が子供の頃のことを思い出してみると、あれは小学校低学年の頃だったか、画用紙にクレヨンで絵を描いて紙芝居を作っていた。それをどこで披露するということではなかった気がするし、そもそも絵は上手い方ではなかったが、それでも続き物で、20話くらいは書いていたと思う。ストーリーはまるっきり思い出

          三つ子の魂百まで

          「銀河鉄道の夜」を今、読む

          4月も終わりが見えてきた。そんな時に、本の話でもしよう。 以前、インスタでも時々読書記録を書いていたのだが、こちらでもそれを踏襲しようと思う。 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」(岩波文庫)。 もう有名すぎて、何も説明はいらないだろう。 僕にとっても、これは創作の原点となっている作品である。大学に入った年に、所属していた高校の演劇部員達が、オリジナルの脚本で文化祭と地区発表会に参加したいと言っていた。それを聞いた、僕よりずっと年上のOBの先輩が、この「銀河鉄道の夜」を下敷きにし

          「銀河鉄道の夜」を今、読む

          「保邑リュウジ」の本を出版?

          バタバタしながらも、何とかスキルシェアサイトでの脚本を1本書き終わった。すぐに、次の1本に取りかからなければならない。全く毛色が違う作品のオーダーなので、しばし頭の中を空っぽにする必要がある。 ところで、先日、ビジネス系SNSのLinkedinで知り合った方から紹介された方と、リモートでお話をしていた。僕の脚本家としてのスキルを、ビジネスで使えないか、という相談をさせていただいた。 その話の流れで、ブランディングのためには本を出版した方がいい、という話になった。電子書籍で

          「保邑リュウジ」の本を出版?

          創作とは、自分を表現することに非ず

          花見には良い1日だった。しかし、僕は花見には行っていない。 さて、前回書き損なった話を書いておこう。創作物の作者は、どれ位その創作物に想いを込めるべきか、または、どれ位あからさまに自分の主義主張を出すべきなのか、という話である。 僕が知っているある団体の舞台作品。褒める人は結構褒める。演者も、結構作品に入れ込んで作っている。僕も見たことがある。が、正直僕には無理だった。「お話が面白い」という人もいるが、僕にはそうは思えなかった。というより、そこにあるのは「物語」ではなく、

          創作とは、自分を表現することに非ず

          SNSをお引越し

          4月になった。 今日から新年度。入学式や入社式も多いだろう。かつては、例年この時期に桜が見頃を迎えていた。温暖化によって、ソメイヨシノの咲く時期が大幅に前倒しになって、それが普通に感じられるようになった。だが、僕が学生時代に入学式を迎える時期と、桜の満開の時期は殆ど重なっていたように思う。 年度替わりのこの時期は、メディアでも様々な番組・企画・連載が終了し、衣替えする。僕自身も、約2年やっていたInstagramを卒業した。正直言って、最後の方は苦痛だった。頻繁に更新しないと

          可哀想な人

          最初の投稿からだいぶ経ってしまった。この間、予想以上の方から「スキ」やフォローをしていただき、大変有り難く思っている。 今、僕の脚本を使った朗読劇「不思議の国のラビン」が、御茶ノ水にあるKAKADOというライブハウスで上演されている。これは、原作者がいて、それを僕が脚色したものだ。原作者と脚本家というと、つい最近、悲しい出来事があった。それを意識しないわけにはいかなかったが、それでも僕は、脚本家として最善を尽くすため、原作者の意に沿わない改訂もした(勿論、最終的にはOKをも