【小説】銭湯とアラスカの風④(喫茶もくもくシリーズ)(4800字)
その音の収集家がスナくんだった。
正式にはフィールド・レコーディング。自ら足を運んだ先で、マイクを使って音を収集する。カヌーで渡っていく南洋の海、雪の吹きつけるアラスカ、路面電車が走り抜けるヨーロッパの石畳、讃美歌が響く古い教会。
スナくんは音を探して世界を旅していた。
ペトリさんの紹介で改めて顔を合わせてから、スナくんはぼくにたくさんの音を聞かせてくれた。イヤフォンを耳に差す。夜の田園に染み渡る蛙の鳴き声、苔むす渓谷を流れる碧い川のせせらぎ、木々の枝で交わされる鳥たちの秘密の会話。それまでも耳にしたことはあったけれど、知らなかった音の世界。そんな体験をさせてくれるスナくんは、ぼくにとっては魔法使いのようで、正直にそう伝えると、おおげさだなあ、とスナくんは笑った。
「もしぼくが魔法使いに見えるなら、それは音の力だと思う。聞こえる、というのは実はとても不思議なことなんじゃないだろうか、と思うことがときどきあるんだ」
スナくんが音に興味を持ったのは星空がきっかけだった。星座を自分のペットだと思ってみないか、と父親に言われた翌日から、少年のスナくんは毎夜星を見に行くようになった。
「今ではすっかり風来坊になってしまったけれど、こどものころはまだ生真面目でね。ペットならちゃんと毎日面倒を見なくちゃいけない、と思いこんでいたんだ」
欠かさず夜空を見上げるうちに、星への関心が募っていった。山へ海へと行き先は広がっていき、好奇心の風はいつしか草原や砂漠という遠い場所までスナくんの体を運んでいった。
「初めて草原で夜空を見上げたときは、あまりの星の多さに言葉を失ってしまった。古代の人たちが夜というキャンパスに星で絵を描きたくなった気持ちがよくわかったよ。本当に、星、星、星ばかりなんだ」
その夜の草原で、スナくんは風の歌声を聞いた。満天の星空と雄大な草原が奏でる自然のシンフォニー。ぼくのイメージはぐんぐん膨らんでいったが、当のスナくんは顔に苦笑いを浮かべていた。
「いや、そんなロマンがあるものじゃなくてね。実は星を見ることに飽きてしまったんだ。最初は感動したよ。流れ星を見つけて、あ、お願いし忘れた、なんて思ったりして。でも、次から次へと星が流れていくんだ。願いごとも、十個じゃとても足りない。百個でもおつりがくる。もう星はお腹いっぱいになってしまったんだ」
ぼくは芥川龍之介の『芋粥』を思い出した。芋粥をたらふく食うことを夢見ていた主人公が、しかし実際にその宴に招待されると、もうけっこうです、となってしまう。それがたとえ所有できない夜空の星であっても、飽きてしまうのが人なのかもしれない。
星を見ることをやめると、草原ではもう他にすることがなかった。スナくんは草の上にあぐらをかいていた。隣のゲルまでは五十キロ以上の距離がある。
静かだった。
本当に静かだった。
……ああ、音がないって、こういうことをいうのか。
知らず目を閉じていた。自分の内側へと視線が向き、どうしてこんな遠いところまで来てしまったのだろうか? とスナくんは自分に問いかけていた。静寂。しんと無音が続き、そこに風の音が飛びこんできた。吹きつける風の音は刻々と変化していった。それまでは、ただばさばさと同じようにしか聞こえていなかった……。
そこで、スナくんのなかで啓くものがあった。これまでは聞いているようで、聴いていなかった。こんなに遠いところまでやって来て、やっとはじめて本当の風の声を聴くことができたんだ。
その夜をきっかけにスナくんは音の収集をはじめた。一度そうであると認識すると、世界は知らない音で溢れていた。一方で自分が聞いた音を、あたかもその時その場所にいるかのように人に伝えるのは簡単なことではなかった。技術が要求される。マイク、レコーダー、ヘッドフォンと道具を揃えていった。最初は落胆ばかりしていたが、ときにそれを上回る歓喜があり、また音の世界にのめりこんでいく。
「そうした道程を経て、今やスナくんは音の旅人となった」
最後はペトリさんが話をしめくくった。ペトリさんの深みのある声で告げられたそれは、映画の宣伝文句のように聞こえた。世界を巡る音の旅人。Traveler of sound。映画館の上映プログラムに載っていたら、ついパンフレットを手に取ってしまいそうな題名だ。
スナくんは冬になると町から姿を消す。それまでも小刻みに旅には出ているものの、冬の間は旅立ったきり春まで帰ってこない。現代のボヘミアン。映画の主人公にぴったりではないか!
その夜も遅くまでもくもくで話しこんでいた。町が冬のコートの支度をしはじめたころだった。表の看板をクローズにひっくり返した後、内緒だよ、と顔の前に人差し指を立ててからペトリさんがアイリッシュコーヒーを作ってくれた。透明なグラスの中は白と黄昏色の二層に分かれていた。クリームの甘さとコーヒーの苦み、そこにウイスキーがぽっと火を点けて、普段身に着けている体裁という堅苦しい服がとろりと溶けてしまった。
そうでなくても、アルコールにはめっぽう弱い体質だ。貧乏を理由にうまく酒を断っていたのだが、コーヒー・カクテルともなればつい手が出てしまう。そして始末が悪いことにぼくは酒の味はよくわかる。旨い。美味しい。ハッピーだ!
酔った勢いのまま、スナくんにあれこれと言葉の機関銃を浴びせてしまった。君はまるで映画の主人公のようだ、と幼稚な憧れの旗を盛大に振り、それに比べてぼくは、とふがいないプータローの身分を嘆く。賞賛と愚痴。さらには丘の上のアパートで過ごすひとりの時間が、冬になるほど身にこたえる、と孤独を気どる。本物の孤独とはほど遠い、ニセモノの孤独。風邪を引いたようにニセモノの孤独をこじらせる。
翌朝、丘の上のアパートで目を覚ますと、また頭がふわふわとしていた。水を飲み、顔を洗い、窓を開けて冷たい風を浴びる。水が氷るようにふわふわしていた頭がピシッと固まっていき、理性が思考の手綱を握った。途端に昨夜の幼稚で浅薄なじぶんの言動がよみがえってきて、ずーんと自己嫌悪に陥った。
そのまま、転げ落ちるように坂を下って、もくもくを訪ねた。
「今日は深煎りをください。できるだけ苦いやつを」
じぶんを諫めるには苦い一杯がいい。ペトリさんが電動ミルにコーヒー豆を入れている。黒いシンプルな形をしたミルが、もの静かな職人のたたずまいで豆を挽く。いつもならここで紙のフィルターをドリッパーにセットするのだが、今日は布のフィルターだった。
「ネルドリップですか?」
「深煎りと言えば、これだよ」
銀のポットからお湯が注がれる。フィルターを濾したコーヒーの滴がぽたぽたと透明なサーバーに落ちていく。ペーパードリップと比べてネルドリップは滴の落ちる速度が遅い。そのぶんだけ時間がゆっくりと流れる。
「昨日の夜は寒かったね。すっかり陽が暮れるのも早くなった」
「秋の日は釣瓶落とし、ですね」
ツルベ? それってどんな植物? とペトリさんに訊ねられ、井戸の桶のことだと説明すると、へえ、とペトリさんは笑った。
「ツルベって桶のことなのか。ツヅルくんはよく言葉を知っているね」
地球を四万キロも旅し、広い世界を見てきたのにペトリさんは謙虚だ。
「そういえば、今日、スナくんが旅に出るあいさつに来たよ」
サーバーから白いカップにこぽこぽとコーヒーを注がれていく。
「今日? いつの話ですか?」
「開店してすぐだから、お昼前だね」
しまった! だが、時すでに遅しだ。昨夜の犬がじゃれつくようなふるまいを謝る機会を逃してしまった。次にスナくんと会えるのは、春めく啓蟄の頃、ずっと先のことだ。
電話をかければすむ話なのだが、スナくんは携帯電話を持っていない。旅先の滞在地から手紙が届くまでは、もう連絡の取りようがない。ぐわあっと頭上から思いものがのしかかってきて、がっくりとうなだれた。そうして下を向いた鼻先に温かなコーヒーの香りがただよってきた。やりきれなくても、惨めでも、コーヒーの香りはいつも心地よい。
「これ、スナくんから」
白いコーヒーカップの隣に、ペトリさんが四角いプラスチックケースを置いた。
Fairbaks,Alaska(Winter)
スナくんの筆跡で表面に走り書きしてある。
アラスカ、フェアバンクス(冬)。
口に出して読んでみた。知っている地名だった。
そうだ、星野道夫だ。探検家で写真家、作家でもある星野道夫が住んでいた町の名前だ。北極圏のアラスカに憧れて移り住んだ現代の旅人。星野道夫のことを、ぼくはスナくんから教わった。著作『旅をする木』もスナくんから借りて読んだ。
それは心が澄んでいく読書体験だった。荒涼としていながらも透き通っているアラスカの大地。揺らめくオーロラ、雪原を走り抜けるカリブーの群れ、尾をひるがえしてブリーチングするザトウクジラの水しぶき。頁をめくるうち、いつしか周囲からは音が消えていた。青く白い空間のなかで、ひとり静かに書をめくる。やがて何かの拍子で現実に戻ってきた瞬間、ざあっと波のように日常の音が押し寄せてきて、それまでひたっていた静寂をなつかしく思い返す。
プラスチックケースの中にはCDが入っていた。スナくんが収集してきた音の結晶だ。
Winter。冬。寒いのが苦手だから冬になると旅に出る、とスナくんは言っていた。それなのに、よりにもよって極寒の冬のアラスカを訪れたのだろうか?
ペトリさんが鼻歌を歌っている。曲はスティングのイングリッシュマン・イン・ニューヨーク(Englishman in New York)で、サーバーから自分の分のコーヒーもカップに注ぐと、ひと口飲んでから、苦いねえ、と笑った。
丘の上のアパートに戻ると、スナくんから渡されたCDを聞いてみた。
はじまってすぐ空白の数秒があり、それから、ヒューっと風の音が聞こえてきた。鳥が啼き、獣が咆え、木々が揺れる。枝から雪が落ちる。
アラスカ、フェアバンクス。
北の果てまで、もう一歩のところにある街。
その街の、冬の音を聞く。
風、鳥、獣、雪。音に色があるはずがないのに、白いとわかる。白い風が吹いている。零下の風が、ぼくの肌をなでていく……。
風の音が止んだ。目を開いてラジカセを見ると九分七秒と表示されていて、もう二秒進んだ九分九秒のところでCDの回転が止まった。
部屋を見渡してみた。よく見知った代わりばえしない部屋のはずが、新しくメガネを掛け変えたように新鮮なものに見えた。部屋に付いているエアコンがガタのきているおんぼろなので、息が止まっては大変とスイッチをオンにはしていなかった。それで寒い寒いと毛布をかぶりながら温かい白湯を飲むのが常なのだが、今夜にかぎっては白湯を飲まなくても平気だった。
ふと前に読んだ北極海を泳ぐマッコウクジラの話を思い出した。鯨類は超音波で空間を把握する。ソナーを発して対象をスキャンする。マッコウクジラにスキャンされたダイバーの肺は、ぽこぽこと音を立てる。
音は波だ。だったら、スナくんからもらったこのCD、そこに収音されたアラスカの白い風の音を聞いた九分間、アラスカの音の波を浴びていた間、ぼくはアラスカを旅していたことにはならないだろうか?
右手で自分の左手の甲に触れてみた。
寒くない。
丘の上のマンションに独りきりでいると、ときどき、ぽつんと自分だけが世界から取り残されているような気がすることがある。それは孤独という名の流行り病で、特に冬の深い夜にやってきて、人の心をわびしくさせるものだということは、とっくに知っていた。知っていたけれど、耐えられず、たまらなくなることがある。
だから陽が暮れると銭湯に行く。神明湯の円い湯船が震えるぼくの心を温めてくれる。
でも、銭湯だけじゃなかった。
スナくんからもらったアラスカの白い風の音が、ぼくの心の震えを止めてくれた。