病気の私は可哀想じゃない

私は精神疾患を持っている。
10代の頃に発症した。

かれこれ10年以上の付き合いだ。
妹や弟がいるが、別に精神疾患は発症していなかった。高校生、大学生の頃は周りが羨ましかった。同じ親から生まれたのに元気な弟妹。元気に学生生活を謳歌する同級生。私だけなんで、と何度も思った。何が悪かったのだろう、と。高校生活は保健室登校を半年したし、大学生になっても保健室に何度も担ぎ込まれた。精神疾患のせいでバイトをしてもろくに続かず、金銭的に苦しい大学生活だった。社会人になって仕事をしても休みがち。それでも有給の範囲内におさめたが、休みが多いと怒られた。

 それでも無理やり普通のレールに乗るように努力した。留年せずに高校を卒業し、浪人せずに大学にも行った。休学してしまったため大学卒業は半年遅れたが、卒業後すぐに働き始めた。働いている時もやっぱり精神は不調だったが、当時同棲を始めたばかりだった旦那が支えてくれた。そんな風に働き、はじめに入った会社は悪くなかったが、働いてみてやりたいことがブラッシュアップされたので、前向きに転職も経験した。途中で旦那と結婚もした。

 高校生の時、私だけなんで、と思っていたが、案外色々なことを経験できて満足している。せっかく転職した仕事は精神を大きく病んで辞めてしまったけれど、それもいい経験だったとも思う。私は頑張った。国には20歳になる前から、障害に該当するほどの精神疾患を持っていたと認められた中、大学に行き、仕事をし、結婚もできた。自分で自分を褒めることができる。

今、私は高校生のときに思い描いていた周りと同じように普通に働けてはいない。仕事を辞めたときは私はもう普通の人生は送れないのだと悲観した。

けれど今私はとても充実している。週に数回デイケアに通い、家事をして、趣味をして、勉強をした1年弱を経て。今は就労移行支援事業所に通えている。私の周りのひとは誰も私を可哀想だなんて思わない。病気の私は可哀想なんかじゃない。私は私なりに前向きに、生きている。

 将来の夢だってある。もう一度働きたいのだ。それも無理な夢じゃない。主治医とも相談して少しずつ、夢に向かって進むために準備をしている。以前働いて辞めてしまったのは、自分の病気をクローズ(職場にふんわりとは伝えていたが)で働いていたせいで無理が出たので、次はオープン(しっかり病気、障害を申告した上で合理的配慮をもらう)形で働こうと思っている。今度はうまくいくと信じているし、だめだったらまた方法や手段を変えてリトライすればいいだけだ。私にはやりたいことがいっぱいあるし、できることもいっぱいある。

病気を発症した時よりも、発症する前よりも、私は強くなった。今はもう、自分で自分を可哀想と悲観なんかしない。


病気の私は可哀想じゃない。

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