【幼児教育】人と人
幼児教育の基本ってなんだろう?
4月から働き始めた職場で、そんなことを考えさせられている。
子どもの安全を確保すること。
活動の計画をすること。
人の動きをイメージすること。
生活の細かな部分に目を配ること。
自分は基本がなってない。
そんなことを、自分の不甲斐なさを、実力のなさを痛感する日々を送っていた。
どんなに美しそうな考えがあっても、まず基本的な動きができなければ、全く説得力がない。むしろ「口だけ」となってしまって足かせとなる。
そんなことを感じ続ける毎日だった。
頭では分かっていても動けない。動いているつもりで、空回り。周りに漂う不穏な空気。
毎日心を整えるので必死だった。
そんなときに訪れた再会の機会。
前年度までの子どもたちとの再会。
3ヶ月間楽しみにしていたその日。前園でのイベントだ。全員と会って、みんなの「ぼうけん」の話を聞こうと思っていた。一緒に「ぼうけん」しようと思っていた。
しかし、前日に電話で知る。コロナ禍で園内には立ち入りできないと。
どうしようか。もちろん行かないのがベストなのである。子どもたちに手紙を書いた。「行けなくなってしまいました。ごめんね。でも必ず会いにいくよ」と。それを副園長にメールした。
当日。行ってしまった。3つの時間帯に分けての開催。3グループ目の午後に正門を覗きに行った。入り口で何人かに会えたらなんて思った。
しかし、すごく後ろめたくなった。3月、お別れの際に「イベントに行くからね」と「みんなに」約束した。
でも、自分は3グループ目だけに行った。
3グループ目の子どもたちには約束が果たされる機会があり、1、2グループ目の子どもたちには約束が流れた。
不公平なことをしたと思った。
冷静な判断力はなかった。
そんな中、園内に入れてもらえることになった。園にさえ迷惑をかけた。
もう自分はどう振る舞えば良いのかわからなくなっていた。
そこでの子どもたちとの再会。
子どもたちの「あっ」という表情。
駆け出す足。
恥ずかしそうな目配り。
自分にも嬉しさと懐かしさが込み上げる。
しかし同時に、堂々とできない自分もいた。
胸を張れない「せんせい」がいた。
3月に寂しい思いを強いながらも決断したさよなら。それなのに今抱える大きな迷いと浮き足だった人間。
それでもハグしてくれる子どもたち。嬉しそうで、恥ずかしそう、泣き出しそうでもある子どもたち。
その時私が感じていたのは、「助けて」に近かったように思う。
みんな助けて。どうすればいい?りゅうへいせんせい、どうしたらいい?
そんな時間だった。
子どもたちのぼうけんを聞くつもりが、私が子どもたちにすがりついていた。
嬉しさだけでは到底語れない、複雑な時間だった。
園を出てからも、抑えきれない、嵐に掻き回された海のように上下もわからない感情をずっと考え続けていた。
夜、保護者の方の言葉を目にすることがあった。
その子は私との別れの後、塞ぎ込んだ時間があったと。そして今日の再会の時、迷いなく私の胸に飛び込んでいたと。
感情のダムが静かに崩れた。
そして気づいた。
私も子どもたちもまずは人であることを。
「保育者」と「園児」である前に、まずは人と人であることを。
去年1年間、等身大で子どもと過ごした。
保育をしたと言うより、一緒に生きた。
専門性はなかったのかもしれない。
保育士としては失格だったのかもしれない。
それでも、自分のちっぽけな知識と技術をピュンピュン振りかざしながらも、一緒に生きることだけは自分の全バイタリティを日々注いだ。
子どもたちも日々笑って、泣いて、私に疑問符を向けた時もあって、一緒に悩んで、話した。坂を下るのに勇気を振り絞った時もあった。絵の具を盛大にぶちまけた時もあった。話を聞いてもらえるように「ぱんじい」というお爺さんを生んだときもあった。叫ぶように走り回って、笑った。と思ったらぶつかって転んで泣いた。そんな毎日だった。
実際、誤解を恐れずに言えば、その年の4月後半には子どもたちを「かわいい」とは思わなくなっていた。むしろ、一緒に生きていく「仲間」や「相棒」のような意識が強かった。
これも他者の子どもを預かる使命を受けている身としては、失格なのかもしれない。
そう思った日何度もあったし、今考えてもそう感じる時がある。
でも子どもたちは今日答えてくれた。
人と人が、人と人として関わった結果を、教えてくれた。
笑ってくれた。
抱きついてくれた。
涙ぐんでくれた。
「助けて」とすがらせてくれた。
「人として関わること」
これが人であることの基本じゃないか。
あのハグにはとてつもない意味があった
もちろん保育士としての基本は身につける努力をしなければならない。
一方で、保育士である以前に忘れてはいけないことがある。
人であろう。
嘘なんかつかない、等身大の、人であろう。
人でありながら、泳ぎ続けよう。
ベテラン保育士の皆さん、
そんな青臭い‘保育士’が、日本に一人ぐらい生きていることを許してください。