映画『クラブゼロ』~自分の足元にある「真実」を揺るがせられる~
なんとも興味深くて、なんとも気持ち悪い映画を観た、というのが素直な感想です。
「食」というテーマで、ここまで先の展開が読みにくい、サスペンスとスリラー展開を織り交ぜた映画を作るとは、と感心しました。
個人的には、パーカッションを活かしたBGMたちもかなり気に入りましたね。
そんななか、気持ち悪さも感じてしまったのは、この映画が「自分が正しいと思っているもの」、つまり「真実」を揺るがせてくる作品であるためだ、と感じました。
栄養学の教師であるノヴァク先生が、自分の授業を選択した生徒たちを自分が「正しい」と信じている食事方法に導いていくのが、この作品の中心部分となります。
映画のなかで、生徒たちはまるで洗脳されるかのように、ノヴァク先生に心酔していき、最終的には食事自体を摂らなくなってしまいます。
そこまで生徒たちを強く信じ込ませるのは、ノヴァク先生が「生徒のことを愛し、正しい方向に導く」強い意志を持っているから、と言えます。
しかし映画を「外側」から観ている私にとって、食事を摂らずに生きることなどはできない、それが「常識」の世界なわけです。
しかしこの映画を観ていると、その「常識」がだんだんと揺らいできます。
まるで「もしかしたら、本当に何も食べずに生きていくこともできるのかもしれない」なんて気分、まるで自分もノヴァク先生に洗脳されているような気分になるわけですね。
この「常識が揺らぐ感覚」が、何とも言えない「気持ち悪さ」となっているのです。
そもそも、生徒をそこまで信じさせるためには、ノヴァク先生自体が強い信念を持っている=何も食べなくても生き続けている、という事実があるかもしれない、と思わされてしまうのが、この映画を楽しめるかどうかのポイントとなっているのではないでしょうか。
実際、劇中でノヴァク先生は自分がプロデュースしたお茶を口にするだけで、何も食べ物は口にしていません。
「映画に映っていない部分で、なにか食べている」可能性もありますが、もしそうなら自分自身に対するあんなにも確固たる「食べなくても生きていける」との信念を貫けず、生徒たちを洗脳状態に置くこともできなくなるのではないでしょうか。
なんて考えてしまったら、完全に制作陣の術中にハマった、と言えるのでしょう。
なんとも不可思議な『クラブゼロ』の世界に、捕らわれてしまうのですから。
とは言いつつ、ノヴァク先生が「自分自身ですら騙せるほどの優秀な詐欺師」である可能性も否定はできないのですが。
そもそも「食品会社が儲かる世界を否定する=食べなくても生きられる」と考えているノヴァク先生が、プロデュースしたお茶を販売している、という点がなんとなく引っかかる部分でして。
ただこのへんの話は映画のなかで明かされるわけではないので、単なる私の想像でしかありません。
とにかく鑑賞後にいろいろと妄想・夢想するほど、私にとっては興味深い作品であったことは確かではあります。