市民社会と暴力団の決定的な決別を描いた作品~映画『仁義なき戦い 頂上作戦』~
現在では蛇蝎の如く市民社会から嫌われている、暴力団と言う存在。
しかし戦後の混乱期では、間違いなく市民社会と暴力団がある程度の共存を見せていた時代があったことを、映画『仁義なき戦い』シリーズはこれまで見せてくれていました。
しかしこの第4作『仁義なき戦い 頂上作戦』では、もはや完全に共存不可能となった市民社会と暴力団の姿を描いています。
それは暴力団同士の抗争が激しさを増すにつれて、市民のなかにも被害者が出るようになったことが大きな原因でしょう。
市民社会にとって暴力団は、利害どちらもある存在です。
自分たちにとって大きな利があるうちは共存できても、害が大きくなってくれば、それは市民社会から迫害される、これは当然の論理とも言えるわけですね。
そんなふうに市民社会を敵に回し、周囲のすべてから煙たがられるようになった暴力団ですが、それでも抗争が止まることはありません。
利権の問題はもちろん、それまでの恨みつらみや仲間内での義理人情、そういったものに縛られて、もはや抗争は簡単には止められないわけです。
こういった点にも、極道という生き方の不便さ、不自由さが現れていますね。
これまでの作品では「憧れはしないけれど、カッコイイと思える部分はなくはない」と思えていた登場人物たちも、不自由ななかでもがき続け、なんとか浮かび上がろうとしているようにしか見えず、カッコよさはまったく感じられなくなっている自分の心境の変化に一番驚いた気がします。
なにしろ、極道としての覚悟が感じられず、事業家としての側面のほうが強い山守義雄や打本昇といった人物たちのほうが(あくまでもコメディチックな存在としてですが)魅力的に見えてしまったほどですから。
最後に「なんの実りもなく、広島抗争は幕引きを迎えた」的なメッセージがありましたが、本当にその通りだったなぁ、と思わされる作品でした。