20代の自己欺瞞
こんにちは
中井です
昨日、ワクチンの考え方について聞かれました。
自分なりの結論を話させていただきました。
あとは、「専門的なことは知りません」と言いました。
僕なりに知っている情報や整合性をとった範囲内での考えを言いました。
ここで喋っている時に思ったのが、自分て
「わからないです」「知らないです」て
ちゃんと言えるようになっていたことに安心しました。
20代前半の自分はとにかく弱みを吐く事が苦手でしたし
できない部分を受け入れることが出来なかった。
できない事を認めた方が楽
これて誰でもわかっているが、
なかなか日常的に意識する事て難しい
では、何故自分で出来ないと言えるようになったか考えた。
理由は以下の通りである。
・”知る”と”出来る”の境界線の理解
・”演じる”が通じない人と会話の機会を作る
知ると出来るて言葉は違うのは誰でもわかっている。
ただ、日頃の行いで知識としてしか取り入れていないのに
体感したかの様な立ち振る舞いをしているときてある。
2年ほど前に僕のマーケティングを手伝ってくれる子に言ったセリフで
「”そうですよね”と同調するのは出来てから言うセリフやで」と言った。
僕が思い切りド正論をぶつけて当時は
「こいつムカつく」と思ったみたいだww
ただ、最近は
「あの時の自分は謙虚じゃなかったし、虚勢を張っていました」
と言われた時は嬉しかったし、自分自身も救われた気がした。
あと、この子のセリフの通り、分かったフリや出来たフリは
”虚勢”(うわべばかりの勢い。見せかけの威勢のよさ。)
なんです。
僕は虚勢を張るのがめちゃ多かったです。
先日、8年ぶりの大学の先生に挨拶に行ったが
「当時のアンタは虚勢だけは一人前だったねw」
と言われました。
言われた瞬間は、恥ずかしかったですが
それだけ僕を知ろうとして頂いていたということが嬉しかった。
虚勢というのは、結局通じない人には全く通じないのです。
僕も営業をやって新規アポ3000以上してきましたが、
自分を欺いている人はすぐわかります。
なんでかというと
欺く人て欺くために口数多くなったり、
又は、逆に全く喋らなかったり口籠ったりするからです。
更に言葉と現実に一貫性がないです。
僕は言葉は1流、
現実は4流という状態がほとんどでした。
言語と現実が全く合わない状態です
こういう事をしていると自然と溝ができるんです。
あと、それに気づく人て自然と離れていくんです。
それに気づく人ほど凄い人やったりしました。
演じた事によって繋がれる繋がりて本当に脆いです。
これはあくまでも僕の経験談ではあります。
もしも、これを読んでドキッとした人もいると思います。
別に演じることや自分を欺く事が悪いとは言いません。
当時、自分が影響受けた哲学者の言葉を添えて締めたいと思います
ほなまた👋