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わがままと、そっけなさ。

不確かな存在や理解できないものを目の前にした時に戸惑っている場面を見たことがある。

自分もそうなった経験がある。

今まで蓄積されてきた経験に存在しない事、そもそも自分では体感することのできない事など、想像する事で補い、相手を気づかって平常のコミュニケーションを送らなければならない事がある。

でも、そのような「曖昧な事象」を目の前にした人が「人それぞれ」だからと素っ気なく片付けているのを見たり、そう言われることがある。

たしかに、「人それぞれ」だと思う。けれど、自分はわがままだから「そんなことは分かっている、前提だよ」とか「そんなに単純じゃない」と言いたくなる。

微細な心の状態や様態を知ってもらうのが好きな自分の本心は、素っ気なくされるよりは素直に「どういうこと?」って訊かれたい、興味を持たれたい。

そこまで深く訊かれなくても、「そこには、本人にとって自然なことだけど、私にとっては未知なことが潜んでいる」と思いつつ見守ってほしい。

でも、もしかすると、そもそも注意を示してくれるだけでありがたいことなのかもしれない。

自分は『透明でいない存在』、『やり取りするに値しない存在』として扱われたことがあるから。

異質なものを何となく横に流す素っ気なさと、自分のことを分かってほしいというわがまま。

その中庸を意識しながら、それでも自分は自分にとって、綺麗事だと思われても、未知なものを積極的に目の当たりにして、思い巡らせていきたい。


2021 4/21 に書き留めたスケッチ的な文章に後から手を加えたものです。

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