虐められて 辱められて 疲れ切った後に残る どんよりとした雲がかった気持ち。 それに慣れれば次に、 人間としての尊厳を汚された時に 「もうどうなってもいいんだ」 という自暴自棄の想いが出てくる。 大切に大きくしてきたものが 奪われ失うものが何もなくなって 空っぽになった時に、 何らかの拍子で不純物が混じると 濁った小さな結晶がそのまま巨大化してゆく。 それが大きくなり過ぎた時に 今度は自分から排除して空っぽにしようとする。 そして改めて白い空間だ
初めて会った時から終わりを見る。 終わりを想像して接する。 それは予定調和だから決めていた通りに 物事が進まないと不安になる。 想像する未来に作った枠組みの中で生きようとすれば 表面的に納得することはできても、 少し過ぎればそういう事実があったとしか 受け止めることはできない。 安定した楽しさを求めて失敗する未来を 避けるために作った設計図。 逆説的だけど予定不調和による失敗や不快な状況が 生じれば後から思い出して楽しめるんじゃないかと思う。 自分が予
優しさに囲まれた環境で育った自分と、 優しさに飢えた過去を持つ自分。 この二律背反から生じる摩擦は 人を幸せにも不幸にもする。 人から受けた優しさを考えずに 身勝手な行いを繰り返し、 相手を振り回す自分。 そんな堕天使になるには まず受動的に優しさを吸収しようと 積極的になる必要がある。 そこで重要なのは、如何にして 相手に内発的な優しさを感じさせようと 考える事だ。 自発的に優しさを出すよう導くために。 優しさの主導権を自分が握りしめれば 後は
そこまで深く考えずに 快、不快を決定するようなやり取りは 純粋な繋がりを持続させるのではないか。 その相互伝達は経験の及ばない領域へ進む事を 後押ししてくれるような気がしている。 不安により未来を決定付け 今を過去のものとして生かすのではなく、 偶然性やその場その場の感情を頼りに まだ知らないところへ行く事が できればワクワクできるはず。
素の自分でいれば拒絶されるかもしれないという不安が僕の中にあった。 その不安を強く感じる時にこそ、状況をコントロールして自分を保っていた。 でも、いくらそんな風に状況を俯瞰して 周りに細心の注意を払いつつ 場の空気を読んで合わせていても、 元はと言えば、素の状態で接する事ができていないので 相手が本当はどう思っているのか気になり、 不安な気持ちになる。 そして、不安を拭う為の仮面の自分を演じれば演じるほど 本当の自分と仮面の自分が二極化してゆき、ますます、 「僕はどうい
人との出会いは必然なのだろうか、 それとも偶然であるのか。 必然であるべきなのか、偶然であるべきなのか。 「べき」というように、 表面的には気が付かないが、 実は自分の奥底では、もっと主体的に、 ある意図に沿った形で会うか会わないかを 判断しているようなものなのか。 知り合った瞬間は偶然だけど、 そのあとにお互いについて知るうちに、 「これは必然的な出会いに違いない」 という思い込みに至るか至らないかの違いで もしかすると、偶然か必然かという問いに決着が つけられるものな
「はじめまして!」 ある人と会って1度きりの言葉だと 思っていたけれど、 毎回『はじめまして』の気持ちになり、 都度自己紹介が始まる、 という経験をしたことがある。 そして、何にも終わりではないのに 「2度と会えないんじゃないか」と思い、 落ち込んで悲しい気分になる。 これは自分に限ったことではなく、 周りを見てもそういう事が起きることが たまにあると思い、改めて周りを見て どういうことなんだろうと最近考えていた。 朝起きた時に1日のモードが決まり、 「こういう自分で
不確かな存在や理解できないものを目の前にした時に戸惑っている場面を見たことがある。 自分もそうなった経験がある。 今まで蓄積されてきた経験に存在しない事、そもそも自分では体感することのできない事など、想像する事で補い、相手を気づかって平常のコミュニケーションを送らなければならない事がある。 でも、そのような「曖昧な事象」を目の前にした人が「人それぞれ」だからと素っ気なく片付けているのを見たり、そう言われることがある。 たしかに、「人それぞれ」だと思う。けれど、自分はわ
毎日世界は違った見え方をする。もしかすると変化したのは私ではなくて周囲の在り方なのかもしれない。 どちらでもある。 沖縄で育った人と会えば、その空間が美しい海の上を通る澄んだ鶯色の汐風が窓の向こう側から流れ、私達のいる場所の安全を信条に掲げて働いてきた人と会えば、 その真っ直ぐで何一つ偽りの無い態度と、受け得る重力の全てをそこに費やしたと思えるほどに垂直に起立する不可視な揺るぎない軸に、 自分のしている事と、自分の取り囲み見える人がしている価値創造と自由な行動は、平和
最近、人と会う機会が沢山あって、その度に僕自身を含め、人は誰だって強い面と弱い面があるとよく思うので、今日はそういうことを書いてみます。 普段僕は人と接すると割とはっきりした口調で自論を投げかけることがあります。 それは、曖昧な言い方や口調だと、よく思われないと思ってしまう僕が根本にいるからだと薄々気が付いていました。 今思い起こしてみると、そのために少しは演技的な振る舞いをしていた時もあったように思います。相手には割と自然に感じられつつも僕的には虚勢を張ったような、自
はじめまして^ ^僕は東京の某美術大学に通いデザインを学んでいる学生です。ちなみに大学4年生です。 専門はインテリアデザインですが、自主的にグラフィックデザインや装飾のデザインなど割と幅広くデザイン的な活動をしています。 また、専門の枠にとどまることなく、日々、アートや工芸に通じる創作もしています。絵画、建築、民芸...どこまでも美的なものに惹かれる有様でございます。 勿論、ここまで例に出したような「大きな本流の中で着々と受け継がれ紡がれてきた価値創造」と対極にあるよう