「フィクション」を楽しもうよ
そんなに、フィクションって説明や配慮せんといけんのかな?
もっと楽しむことに重点を置くのは、できんのかな?
漫画や小説を読んだり、映画やドラマを見るとき、私は事実に沿っているだとか、リアルだとか、よく調べてあるとか考えながら見たことがない。楽しみ方は慎吾が言ってる事に似ているかもしれない。
もちろん、事実に沿った内容だからこその楽しみを否定したいわけやない。
自分に重ねてみることはある。というか、ほぼ自分に関係するワードがあるからこの作品と出会ったんやと思う事ばかり。それは、作者が伝えたかった事・作者が想定した内容ではないかもしれんけど、受け取り手次第やろう。作品に出会って、化学反応起こして、心が揺れるから面白いし、思いや心を強要なんてできんやろ。こんなに一人一人違うのに、全員同じようにとか。
そんな事を考えてるときに、ほぼ日で糸井さんがこんな事を言ってた。
フィクションと接触することは
人のこころのなかに「夢」や「希望」と同じように、「悪」や「卑怯」や「欲望」や「虚栄」の存在できるスペースをつくってくれる。合理的にして正義に叶うことだけでいっぱいのこころは、自然物ではなく人工の建築物のようで虚しい。
現実ばかりを凝視して、正義と悪とを裁いているより、もっと味もコクもある嘘のおもしろさに出合いましょう。
そう、『源氏物語』だって、シェイクスピアだって、『ゴッドファザー』だって、イケナイ話の山盛りだ。
ホントとウソとどっちでもないものが、世界のすべてさ。
2020/2/6 今日のダーリンより一部抜粋
※今日のダーリンは過去のアーカイブはないので、最新と前日のものしか読めません。
つまりさ、みんな、もっと気楽にエンタメを楽しまない?って提案なんやけど。そして、受け取り方は千差万別やけど、だからって作品や作者を否定したり攻撃することは間違っとると思うんよ。
例えばお笑いで、
こういうボケをして、こういうツッコミをします。それは、相手を正したいとか、どういう気持ちでそれを言ってるのかって怒りたりわけではなく、「そうじゃないよね?」という優しい気持ちで、勢いよく問うことで面白くなるかなと思って言っています。さらに、この話の裏には、某アニメのストーリーになぞらえて、会話を展開していくことが面白さの一つになっています。このネタによって、笑いや会話の楽しさを伝えられると嬉しいなと思って作りました。なお、相手を叩いたり、指摘することが苦手な方は、見ないようにしてください。また、そのような行為を許容しているわけでもありませんので、ご了承ください。それではどうぞ、ご覧ください!
って感じで始まって、心から楽しめるんやろうか?圧倒されてなんか疲れてしまうのは私だけやろうか?
真剣な顔で、視聴者に配慮してお送りしております的に言われても(書きながら、逆にシュールであほらしくて笑ってしまったけど)。
ネットで小説や動画を見てても、まぁ、注釈の多い事・・・。
見る側に対しての配慮もわかるけど、概要欄にも書いてあるのに、作品の文頭にもあったりすると少しテンションが下がるなと感じたこともある。そうする事でしか作者の心を守れないのは悲しいよね。
作品を見れば、それが誰かを攻撃したくて作ってるものか、楽しんで欲しくて作ってるものかなんてすぐわかると思うんやけどなぁ。
楽しむ側・作り出す側、どっちが悪いというわけでもなく、どちらにも楽しむ心と、自分の芯を通す勇気が少しずつできればいいねー。