生活と文体のバッファー。

今日は、書き物を進めたい予定があったのだが、この午後1時近くになっても、一向にwordに向かうことができないでいる。勢いで、えいっと書き進めるというのも、ひとつの手なのだろうが、自分の、こう、書きたい気持ちが降りてくる感じがまだないので、仕方がない気もする。この降りてくる感じというのが、独特な言い方かもしれないが、ひねり出す文章というものを、あまりやりたくない気持ちが強く、仕事だったらしょうがないのだろうけれど、あくまで自分の最良のアウトプットをするために、この待つ時間、何もしない時間というのも、ひとつの効用な気がしてならない。noteの平野ディレクターが上げていた記事に触れて、とても会得することがあって、生活にも文体にも、無駄がないということに改めて気づいた。学校の時間割のように1時間書いたら、1時間休憩と、すごく機械的にスケジューリングするきらいがあって、それは、確かにとても合理的で効率がいいスタイルだろうけれど、本当に最良のアウトプットが出来るのか、疑問が残る。

文体で言えば、昨日あたりから心の中で感じ始めているのだが、自分の文章は、まるで高速道路を車載制限ギリギリのトレーラーが飛ばして走っているようでもあり、それがスリリングという評価もあるのだろうけれど、一般性とか、客観性とかに少し欠けている気がしてならない。沢木耕太郎さんの「テロルの決算」を読んだ時の疾走感を、ふと思い出したが、沢木さんは中型のバイクを走らせている身軽さというか、軽快さがきちんと文章に備わっていて、自分はあくまで重いトレーラーのよう。自分の文章が、沢木さんの心地良い疾走感とは少し違う感じがして、その種類のスタイルでも、もう少し自分なりにできる書き方も目指してみたくなった。おそらくこの文章も、まだ、車載ギリギリのトレーラーのような気がする。自分の文章の特徴と言えばそうなのだが、やはり、もう少しバッファーのある文体を模索してみたいと、最近度々感じている。

生活のバッファーもそうで、何時に寝て、何時に起きたら、何時間寝れるとか、時間が空くと、何かせいて次のやることを、少し闇雲に探そうとしている気がする。ただ何もやらない時間をボケーっと過ごすのがとても苦手で、性分なのだろうが、タイトでキチキチの生活スタイルも改善したいところ。絶対的なリミットは多分どこかのタイミングであるのだろうが、そこに向かうまでの日々の落とし込みは、もう少しバッファーを持たせたいと感じている。あと、バッファーとは違うが、文章を書く以外の時間に、 SNSを休憩中に眺めるとかではなく、全く関係のないこと、洗濯でも、料理でもいいのだが、気分転換も、また返って文章に戻った時に効果的な時間の使い方だと思うので、それも適度に入れつつ、また年末まで取り組んでいきたいと思っている。

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