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東京は寂しい街だった

なんだかとても窮屈。
空が狭い。夕日が見えない。

電車の座席も常に埋まっている。

そんな街が僕の東京。

外見は整って綺麗な人が多いが、果たしてその中に心の中まで綺麗な人はどれくらいいるのだろうか。

何かを得るために上京したあの子は、その何かを得るために大切なものを失ってしまったようだ。


街を歩けば、ビルが建ち並び、飲食店の数々、電車に乗れば、外の世界に目を向けず、スマートフォンという小さな画面に映し出された自分だけの世界に引きこもってしまう。

まぁ、電車の窓の外には建物しかないから、そりゃそうなのかもしれない。


きっと東京という街は承認欲求を満たしてくれる街なんだろう。そう考えると儚く切なくなった。

世界の最先端が集まるが故に、人々はそこに集い、本質的なものを見失ってしまう。

自分たちが1番大切にしたいものは何だっけ? 

そんなくさい会話は避け、売上がいくらだの、利益がどうだの、数字の話をして、どうでもいいマウントの取り合いをしてるように思える。


ハチ公前ではナンパを待つ女性で溢れ、そんなちっぽけな欲を満たしても決して自分が満たされないことを知らず、あの女性は今日も誰かを待っているのだろう。

そんなところに疑いも向けず、ただただ環境に左右されながら生きていく、そんな人生も悪くないのかもしれない。


ひとたび常識や当たり前を疑えば、世界は複雑になり、考えなくてもいいようなことを考えてしまう。

めんどくさいから、世界を分かりやすくするなら、そんなところに目を向けなくてもいいんだ。


大人になれば純粋無垢に生きれなくなる、なんてことはよく聞いたものだが、生きれなくなるのではなく、そういう生き方をしないと選択した、の勘違いだと思う。


マイノリティには生きにくい街なのか。


そんな中でも浅草の街外れのホッピー街には、何だか懐かしささえ覚える飲み屋がたくさんあり、そこでの人々の顔は生き生きとしていた。

実家のような暖かさがそこにはあって、普段の争いを癒してくれる、そんな場所になっていた。


まだまだ僕は東京という街を知らない。東京に行けば大きなことが出来るのではないかという期待を胸に抱いて、気付けば、大きなことがちっぽけなことだと絶望してしまうのだろう。


東京の人は歩くスピードが早い。

生き急いでいるみたいだ。


何かに追われているようだ。



目には見えない何かに追われ、彼らは一体どこを目指しているのだろうか。そんな目的地のない場所へ、人の言われるがままに向かっていく人を見ながら、僕は今日大阪へ帰ろうと思う。

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