まだ生きていたいと思うほどの日常を
夏の日差しが少しずつ顔を出し始めた6月後半。誕生日を迎え21歳になった僕は、大人になったという実感はまだなく、中身は少年のまま体だけが大きくなってしまったようだ。
世間の「普通」というものに違和感を持ちながら、ここ数年を過ごし、どうにかして社会に馴染もうと頑張ってはみるものの、なかなか馴染めない僕はある決断をした。
就職をしない。
就職しないというよりもできないの方が近いのかもしれない。こうなった背景を書いていきたいと思う。
インターンを渡り歩くこと4社目。1年以上インターンはやっているのだけれども、なかなか組織に属するということが難しいようだ。
この1年で分かった。僕は普通に生きることが難しいということを。周りで社会人として働いて、Twitterで「仕事が面白い」なんていうツイートをちらほら見かけるのだが、僕は理解したくても理解できなかった。
仕事ってそんなに楽しいのか...。
羨ましかった。
僕は仕事が全くできない訳ではないと思う。平均点は出せる。だけど、それ以上が出せないのがいつもコンプレックスだった。自分の仕事においての強みって何なんだろう。
もっと結果を出したいのに、なぜか体がそれを拒んでしまう。
体が拒む理由を考えた。
考え続けた。
その結果分かったことがある。
美学を感じない結果に行動を起こすことができない。
ここだった。
僕が美学を感じるポイントは、その組織がなぜ存在しているのか、なぜその結果が欲しいのか、結果を出した先にどんな景色が待っているのかである。
いわゆる企業理念、VISIONを体現しながら、ここに一貫性のある会社が僕は好きなんだと思うが、そんな会社を探そうと思う気力がない。自分の価値観を自分じゃない誰かや会社にフィットさせるのがとんでもなく苦手なのだ。
だから、僕は自分で生み出そうと思う。
僕みたいに「普通」を装いながら、心の違和感と対峙している人は大人でもいるのではないかと思っている。
普通が羨ましい。かと言って自分が特別かと言われるとそうでもないみたいだ。自分は何者でもない。自分は自分なんだ。何者かになろうとしなくたっていいと思う。
自分の存在価値は何なんだろう?会社で働く度に思っていた。別に僕がいなくたって組織は回るわけだし、それを頭で分かっていても、なぜか辞めずに自分で抱えてしまうのが正直なところで。
ただ、僕が目指したい世界は「まだ生きていたい」と思う日常を作り出したいと思っている。死にたくない。まだ生きていたい。そう思ってくれれば、希望が生まれると信じている。
この世の中には子供よりも中身が子供な大人がいる。人が嫌がるようなことを平気で言う大人がいる。何か事件が起きれば、スマホを取り出して撮影しだすような人もいる。
こんなつまらない世の中に一筋の光を。
僕は会社に頼らず生きていく。
強く、逞しく、美しく生きていく。
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