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SNSは無料ではない。ぜったいちがう。

 我は激怒した。必ず、かの 邪智暴虐 ( じゃちぼうぎゃく ) の者を除かなければならぬと決意した。ぼくには彼の気持ちがわからぬ。我は、村の一般人である。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

何に対して激怒したか?それは、次の物言いに。

ボランティア活動みたいなものなので、有料での広告は必要ないと考えています。

邪知暴虐の彼の言葉

 ごめん、意味が分からない。もう少し説明すると。この発言はとあるイベント主催者のものである。イベントとは何か。それはとある場所に人を呼び込むイベントである。つまり営利目的だ。その大義名分は、地元の活性化である。そのために参加費は無料としている。主な収入源は、キッチンカーからの出店料である。それにしたって都会の相場のおおよそ1/3程度でほぼ無料みたいなもの。確かに儲からない。しかしそれでも。月に1回行っているイベントである。先ほども言ったがこれはキッチンカーを儲けさせるイベントではない。あくまで地域活性化を目的としたイベントだ。

 地域活性化とは?人が集まって賑わいを創出することだろう。賑わいとはなにか?人が集まり、そこに金銭的な授受が活発に行われることではないのか。単に人がたくさんあつまればいい?それなら、キッチンカーがいる意味はまるでなくなる。むしろ、キッチンカーの人たちに出店を募ることすら失礼に当たるのではないだろうか。つまり、せっかくキッチンカーを呼んだのだから、そのキッチンカーに儲けてもらわねばなるまい。それが出店料を取る理由であるし、それは運営費に充てられるはずだ。運営はほぼ一人で行っているから費用はいらない?それはどういう意味だ。お金がまったくかからないとでもいうのだろうか。

 百歩譲って、運営を一人で行っているとしよう。自分で会場を押さえて、自分でキッチンカーとの交渉を行い、自分でチラシを作って、SNSで発信する。多少チラシは印刷するだろう。しかしそれも家のプリンターで行えばそれほどかからないのかもしれない。そしてそうして刷ったチラシを数百枚町にばらまけばいい。何もポスティングする必要はない。田舎には回覧板という方法で知らせる情報網がある。どういうわけか、市役所と関係があるらしいその人は、そういった営利目的とも取れるイベントの告知を、そういった回覧板に忍ばせているらしい。だが、これは自分も暮らしている地域の話で。自分もその地域に住んでいる一員なのだが。すでに1年近く行っているイベントのそのチラシを一度も見たことがない。回覧板は毎月見ている。しかしそこにイベントのチラシは挟まれていたことはこれまで一度もない。

 そのことが何を意味するのかはわからない。もしかして、誰かがチラシを配布することを伝達し忘れているのかもしれないし、知っていてあえて拒否しているのかもしれない。いずれにしても、そのチラシが地域にまかれることはほとんどなかった。これは自分が証拠である。話を聞いてみるとやはり周囲の人も「見たことがない」と話しているらしい。つまり理由はともあれ、そういうことだ。チラシは使われていないのである。

 ここからが本題。そのことに気づいたぼく。そしてぼくは広告宣伝の仕事をしている。その宣伝の手伝いをできればと思い、提案の場を設けた。そこで、どうしてイベントを開催するようになったのかという経緯を聞いた。そして、それは地域を盛り上げたいという純粋な気持ちだということも。それはなんというか意識が高いと感じた。いや、この時点では自分も同じことを考えている一人として、とても頼もしく感じた。なぜなら、わが田舎町では、地域の活性化など望むべくもないからである。地方の都市は、高齢者であふれかえっている。働き盛りはすべて都会に働きに出ており、日中で歩くのは、高齢者か、小学生、中学生、高校生ぐらいのもので、それらは言うまでもなくビジネスのターゲットになりえない。しいて言うなら教育というビジネスしかない。つまり塾とか習い事である。あとは、高齢者をターゲットとした老人ホームや福祉施設、もしくは病院である。コンビニはあるが、いわゆるカフェやレストラン、雑貨屋のような日々に潤いを与えるようなお店は皆無である。それはターゲットがいないことに一番の理由が存在することは、言うまでもないだろう。

 しかし。だんだんと違和感を感じ始めた。あれ、この人の言っていることはちょっとおかしいのではないか?と思い始めた。イベントの目的、目標はとてもすばらしい。だが、イベントに参加する人の多くは、キッチンカーの出店者の知り合いだけらしい。地域の人たちはといえば、知らないので、誰も参加しない。僕も知らないくらいだ。その数はかなり少ないだろう。ついでに我が家の娘にも聞いてみたが、そういった話が小学校で出たりはしていないらしい。まあこれは聞いた相手がいけなかったような気もするけれど。

 そして僕は聞いた。「イベントをもっと大きくしたいですよね?大きくすることは地域の活性化になりますよね?そのための宣伝活動はもっと広く行おうと思わないのですか?」と。すると、「SNSで無料で発信しているので」という。それで宣伝しているつもりかもしれませんが、その結果が今ですよね?と問うた僕に対する発言。それが冒頭の回答である。

 ボランティア活動、という表現にまず腹が立ってしまった。あなたはそれでいいかもしれない。だが、誘われたキッチンカーはどうなる?イベントに呼ばれたパフォーマーへの支払いはどうするの?まさか友情出演で出演料はロハとは言わないだろう。つまり支払いがあるはずだ。それを自腹を切っているのか?もしそうなら、それはボランティアですらないのではないのだろうか?ボランティアは無償活動である。だが、無償活動ではあるが、活動費用は無償であるわけではない。

昨今のボランティア活動においては、地域おこしなど日常生活にかかわるすべてのことがボランティアにつながるという認識が広がり、有志による団体や非営利のNPO法人など団体での活動が行われています。
その活動の現状は、市町村全域を活動エリアとし、平日の月2~3日、高齢者や主婦・子どもが中心となって活動する場合が多くなっています。
ボランティア活動の問題点は、メンバー不足やメンバーの高齢化、活動資金の不足である事が多くなっています。

https://activo.jp/column/35

 この地域を思えばこそのボランティアなのだろう。だが、それでは持続可能性という意味で疑問符が立ってしまうのではないか。大きく儲けなくてもいいかもしれない。だが、少なくとも主催者が活動するのに必要な費用を稼げていなければ、それはやせ我慢のようなものだ。それでもやりがいがあるから無償で、というのは、逃げ恥でいうところの、やりがい搾取である。それを強要するようなイベントに、誰が協力しようとするだろうか。

 本日の本題。「SNSは無料である」。この認識に最大の過ちが存在する。

なぜあなたは、無料でSNSを使うことができるのでしょうか?
結論からいうと、あなたは、個人情報あなた自身のプライバシー*1を切り売りすることでTwitterFacebookを使うことができているのです。

https://miha.hateblo.jp/entry/2018/10/27/000000
なぜ無料でSNSを使うことができるのか?

 SNSを無料の広告媒体と思っている人がいる。確かにSNSでつながった人たちに何か情報を伝えることはできる。だが、多くの人たちに、発信するには、当然のことながら大勢のフォロワーが必要である。大勢のフォロワーを集めるには、インフルエンサーにならなくてはならない。地方の一市民がいくら頑張ったところで、世にいうインフルエンサーとは程遠い存在にしかならない。本人は頑張っているつもりかもしれないが、すくなくとも、地方都市で配られている新聞購読者数、もしくは、私が業務としているフリーマガジンでは約60,000世帯に配布される。つまり、少なくとも6万のフォロワーがいるようなものである。それに勝てるだけの発信力があれば、そういう意見も言えるだろう。だが、どう考えてもその数字を超えるフォロワーを獲得しているとは思えない。現に、イベントの参加者は回数を重ねるごとに減っていると自分で認識しているからだ。

 であるならば、何か別の広告を検討してもいいはずである。それは、新聞折り込みかもしれない。ポスティングかもしれない。SNSの有料広告でもいいかもしれない。いずれの方法を試すにしても、無料ではない。なぜなら、新聞折込なら、新聞屋さんが配布する人件費がかかるし、当然新聞を印刷する費用もタダではない。チラシのポスティングスタッフも無償で働いてくれる人などいまやどこかの宗教団体ぐらいなものだ。つまり対価が必要になるし、配布してくれる人に、やりがい搾取することはぼくは許せない。自分自身、研修で配布員を数日実施したことがある。これはとてもじゃないが、楽な仕事ではない。足腰は筋肉痛になるし、暑い日には熱中症で倒れそうになる。そんな中で頑張って配布してくれる配布員さんに「無償でおねがいね」などと口が裂けても言えない。

 そして、タイトル回収。SNSは無料で使えるかもしれない。だが。それは無償で提供されているように見えて、裏では、莫大なお金が動いている。運営面で言えば、サーバー代が莫大にかかるし、サーバー管理をする人件費もかかるだろう。ネット回線を保守する人の人件費だってかかる。それら目に見えない人たちの努力の上に、私たちの便利な社会は成り立っている。そしてその努力に対する対価を誰が払っているか?それは、企業の広告費と、私たちのプライバシーの切り売りである。SNSを通じて、私たちの貴重な個人情報(何を見て、何が好きで、どういう行動をするのかという情報)を無償で強制的に提供させられ、その無償で提供された個人情報を、企業に販売することで莫大な利益を得る。それがSNSサービスのビジネスモデルだ。だから本来、ぼくらユーザーは個人情報をもっと高価なものとして認識していい。ぼくらの存在が、ぼくらのプライバシーがSNSを儲けさせているのだ。

 それなのに、だ。SNSは無償で使えると誤認している人が、それを無償で使える広告媒体だと認識していることにとてもじゃないが許せない。いや、単に自分が広告の仕事をしているからだけじゃない。ぼくはSNSが好きで、SNSの可能性を信じているからこそ、その難しさ、難度を理解しているつもりだ。SNSはユーザーが主体となり、ユーザー同士がつながることを主たる目的に行うものだ。誰かひとりがそのほか大勢に何か情報を発信することで大きく儲けるようなビジネスの場所ではない。現に、そういったことをすることをステルスマーケティングというのだし、有料の企業案件であればちゃんと広告という表示がされなければならない。広告という表示があればそれはよほどのエンタメ要素がない限り拡散はされないだろう。なぜなら、SNSでは広告を忌み嫌う傾向にあるからだ。

 それなのに。SNSを無償の広告と考えている人がいる。どこまで傲慢なんだろう。どこまで上からものを見ているのだといいたい。いやむしろ情弱な人なのかもしれない。だが、それは「知らなかった」という無邪気さで擁護されるような稚拙さでは決して通用しない。とてもシビアだ。広告とはとても難度の高い世界である。

 どういうつもりでその発言をしたかわからない。本当に宣伝する気がないのか?もう次のイベントを開催しないつもりならわかる。だが、1周年を嬉々として語り、これからも続けていくという姿勢を見せていただけに、なぜそれでも宣伝がいらないといえるのかとても理解できないのだ。

 SNSで無償で宣伝できる?だからそれが間違いである。じゃあSNSで有料広告でも出すのですか?ほら、それも有料ですよね?広告は無料ではない。広告はビジネスである。ビジネスを手助けする手段である。それを提案している自分からするとこれは好意や慈善事業で提案しているのではない。れっきとしたビジネスである。ビジネスでは、提供されたサービスに対して対価を払うことは当然のことである。それを無償でやれというのは、もうビジネスではない。

 「ビジネスではない。だからボランティアだ。」

 オーケイ。そういうのなら、もうこの話は終わりだ。好きにしてください。僕がしているのはビジネスであり、ボランティア活動ではない。ボランティア活動をしたいのであれば僕はもう話すことはないだろう。せっかくだがこの話はなかったことにしたい。地元を盛り上げたいという気持ちは自分も同じで志を同じくする同志と思ったがどうやら勘違いだったようだ。ぼくはビジネスを通じてこの地域を盛り上げなければ、それはいつか継続不可能になってしまうとおもう。

 SNSだけで儲けられるならだれも苦労しない。もしそれができるのならあんたはもうすでにインフルエンサーである。インフルエンサーでないのであれば、SNSだけで儲けられると思っては間違いだ。より大きな情報強者に食われるだけの情報弱者になるだけである。

 うーん。ここを理解してもらえるひとって、ほんと少ないです。

 SNSって何だろうね。広告って何だろうね。
 
 その二つは関係してる。関係しているけど、無償じゃない。
 タダより怖いものはない。タダにされているのはサービスじゃなく、
 ぼくらの存在のほう。
 損をしているのは、間違いなく僕らなのだから。

ちょっとぐちっぽくてごめんなさい。

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