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【小説】KIZUNAWA㉟ 達也! 如何する?
ふたりを追い越す際
「左側に注意しろ。危険だ、右に進路を取れ!」
東部台千葉高校の選手が突然叫んだ。その言葉に左後方に視線を向けた太陽の目には、内側の左から必死の形相で追い越しを掛けようとする甲府農林高校の選手が飛び込んできた。
「達ちゃん! もう一人来る。左、いや右に進路を取って追い越させるよ」
「分かった」
達也がセンターライン側に一歩踏み出した時だ。「危ない!」沿道の観客が叫んだ。次の瞬間達也の左肩を衝撃が襲った。よろけて右へ弾き飛ばされた達也と太陽は、道路のセンターラインまで転がった。甲府農林高校の選手が達也の左側を無理に追い越したために接触してしまったのが原因であった。東部台千葉に追いつこうと甲府農林の選手は最短距離をとったのだ。
弾き飛ばされた達也は交差点を曲がった直後に動けなくなった。
接触して転倒を避けようと、慌てて踏ん張った右足が悲鳴を上げたのだ。太陽はテザーを五〇センチまで伸ばして立ち上がり
「達ちゃん大丈夫か?」
と叫んでいた。達也は無言のまま道路に倒れて動かない。
「達ちゃん! どうした?」
問い掛ける太陽に軽く頷きながらゆっくりと立ち上がった達也だったが、
右膝がブルブル震えていて、今にも崩れ落ちそうな姿で立っているのがやっとだ。
「大丈夫」
そう達也は言う。しかし、大丈夫でない事は、誰の目にも明らかだった。達也は右足を引きずって左足だけで前に出ようと歩き出す。
「達也! 止まれ。どうした? 答えろ!」
太陽はいら立ちを抑えきれずに怒鳴っていた。
「右足のふくらはぎが痛くて動かないよ、何かに蹴られた様な感じがして動かなくなった」
達也は小さな声で答えた。
「分かった。取りあえず止まって」
太陽はいらだつ気持ちを必死に抑えて冷静を装ったが、戸惑いを隠す事は出来なかった。
校長は胸が張り裂ける思いでテレビを観ていた。騒めく上田北高の多目的ホール。
「今日は転倒が多い大会になってしまいましたね。大丈夫でしょうか?」
藤田アナの不安な声が電波に乗って全国に響いた。
「そうですね。健常者である山梨の選手が上手く交わしたのですが、障がい者は即座に対応できませんから、障がい者と健常者が同じレースを戦う事に無理があるのだと思いますね」
瀬田が解説を行った。
「瀬田さん、ちょっと待って下さい!」
二人の会話に割り込ん出来たのは高梨だった。
「とっさに避けたのは上田北高の選手ですよ。むしろ甲府農林の追い越し方は勝負だけに拘ってしまった利己主義な追い越しだと私は思います」
「高梨さん、勝負の世界ですからそれは仕方がないでしょう」
瀬田も切り返した。
「勝負の世界だから思いやりが必要だと私は思いますし、そうやって私はオリンピックを戦ってきました」
高梨はオリンピックの給水ポイントで給水ボトルを取れなかった時に、他国の選手が自分のボトルを回してくれたフェアープレー精神を思い出しながら語った。
「まあ、結果は結果ですから」
瀬田が鼻で笑った。瀬田はレジェンドと言われながらオリンピックには出場していない。つまり、オリンピックの話題はあまり好きではない。
「私は、西之園選手の右足が気になります。弾き飛ばされた時、かなりの負担が掛かっていた様に見えました」
高梨は達也の右足を心配していた。
「全くいい加減な解説をする」
七海の罵声は多目的ホール全体の声になっていた。校長は、地域の人たちの宥め役に奔走しなければならなくなった。しかし、ホールに響き渡っていた罵声は、自然とどよめきに代わって行った。テレビ画面には交差点の真ん中で、動きを止めた二人の姿が映し出されたからだった。
太陽は天を仰いでいた。
「どうすれば良いんだ?」
必死に落ち着こうと自分で自分に問いかけてた。その横を三位グループの集団が二人を追い越して行っく。審判車から腕章を装着した男性が降りて来て「どうしました。トラブルですか?」
二人に問いかけて来た。
「いえ! ちょっと足つっちゃって!」
嘘を吐いた。
「大丈夫ですか? 棄権しますか?」
そう問い掛ける審判に達也は首を振った。
「棄権はしません!」
太陽が代わりに答える。その時だ
「負けるなー!」
怒鳴る様な声がした。二人が振り返ると、戸沢家の親仁が両手をメガホンにして叫んでいた。
「また自分で時間を止めちまうのか? 自分に負けるな! 諦めたら終わりだ、諦めるな!」
親仁さんは戸沢家のカウンターでの二人の会話を聞いていたのだ。
その時また、後続のランナーが二人を追い越して行った。
「あれが親仁さんの声なんだね?」
二人はこの時、あの木訥な親仁の声を初めて聞いた。それは低くて太いが、何故か温かい声に聞こえた。
つづく