世界が言葉を手にした日
最高の一日だった。
広沢タダシさんと矢野まきさんのライブとお話の時間。僕はこの素敵な空間のコーディネーターを務めさせていただいた。最高の時間。そう、控えめに言っても、最高の───。
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「世界が言葉を手にした日」と名付けたい。リズムが起こる。次第に鼓動と重なり合っていく。メロディに言葉が乗る。螺旋のうねりを上げながらどこまでも、どこまでも。グルーヴィー。
言葉の「本当の意味」を知った。これは、少しだけ難しい話だけど。めんどうがらずに少しだけお付き合いしてほしい。
「言葉」には意味が含まれている。辞書を引けばそれが出てくることを僕たちは知っている。「宝物」という言葉であれば「ほかのものと取り替えることのできない、特に大切なもの」といった具合に。
例えば、矢野まきさんの歌う曲の中で「宝物」という言葉が出てくるとして。それは、単に辞書の中の言葉では収まりきらない。言葉は、意味の枠を超えていく。感情や光景や手触りや匂い。いろいろなものがぎゅっと詰まって、「宝物」という言葉として響きわたる。
それは決して文章なんかでは説明できないことだけれど。それこそがその言葉の持つ「本当の意味」であることを、僕は今日、はじめて気付くことができた。つまり、言葉には、それを届ける人と同じ数だけ、異なる意味があるんだ。
難しいよね?でも、これはきっと、とても大事な話。
だから僕たちは、彼らの歌を聴いていると、涙があふれる。歌詞に感動しただけでなく、曲に感動しただけでなく、演奏や歌唱力だけに感動したのではない。その一言ひとことに凝縮された、あらゆるものの塊に、僕たちの無意識の中の「何か」とリンクする。
ひとつの「言葉」に含まれる情報量の多さ、エネルギー、それを届ける技術。わけがわからないうちに、身体が反応する。心が動いた後になって、ようやく考えはじめる。「自分がどうして泣いているのか」ということを。説明は後付けに過ぎない。自分を納得させるためのもの。本当は、理由なんてよくわからないはず。
そのことがよくわかった、僕の大切な記念日となった。
広沢さんと矢野さん。お二人とのお話の中で、いろいろ気付いたことがある。振り返った時に「あっ」と思う。
それは、僕が「文章」の領域で応用できること。ある人にとっては「絵画」の領域で、またある人にとっては「料理」の領域で、そしてまた別の人にとっては「恋愛」の領域で。
言葉には力がある。電化製品の説明書に書かれている「言葉」と広沢タダシが指す「言葉」は違う。ニュースキャスターが原稿を読んでいる「言葉」と矢野まきが指す「言葉」は違う。二人が指し示す「言葉」は、僕たちが考えている「言葉」とは別のレイヤーにある。だからこそ、二人は言葉の持つ可能性をよく知っているし、実際にそれを使って世界を清らかに浄化させ、美しく塗り替えることができる。
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それらの言葉たちは、また改めて記事にしよう。僕があのステージの上で聴いた、お二人のお話。
最高の一日だった。
今日は、世界が言葉を手にした日だ。
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