自己紹介 なぜ元消防士がNoteを書こうと思ったか 大学生~消防士になるまで
こんにちは。
元消防士で現在外資系化学メーカーでEHSマネジメント業務を担当しています、Kuboと申します。
前回、自己紹介となぜNoteを書こうかと思ったのかについて記載したのですが、今回はより詳細に消防士になるまでについて記載させていただこうと思います。
前回記事については下記から読んでいただけると嬉しいです。
部活漬けのクソ大学生
私は地方国立大学に通っていたのですが、大学に入ってからウィンドサーフィンというスポーツに出会い、人生が一変しました。
とてもマイナーなスポーツなのですが、ほとんどの選手が大学生から始めるという事で、もしからしたらインカレ優勝やオリンピック出場も夢ではない事を知り、この分野で一番を目指そうと思いました。
その読みは間違いではなく、練習をしただけ結果が表れることに喜びを感じ、私はどんどんウィンドサーフィンにのめりこんでいきました。
部活にのめりこむあまり、同期たちと練習場所である琵琶湖の近くに一軒家を借りルームシェアを始め、お金、時間などのすべてのリソースをウィンドサーフィンに注いでいました。
風が吹けば(吹かなくても)琵琶湖に行く生活を続けるあまり、最終的にはルームシェアメンバー皆で大学5年生への切符を手に入れることができたのです。
将来についても「毎日ウィンドサーフィンできたら最高やな~」なんて呑気に考えていたのですが、2日に1回くらいのペースで部活の練習に来てくださる社会人の先輩がいて、職業を聞いたところ消防士という事がわかりました。
この時、Kubo青年は思ったわけです。
「消防士になろうと」
運命の日
そんなウィンドサーフィン中心の大学生活を送っていた最中、あの日がやってきたのです。
そう、3月11日 東日本大震災です。
2011年3月11日 私は浜名湖でウィンドサーフィンの全国大会の運営本部長を務めていました。
そして、午後2時46分 あの悪夢が発生しました。
浜名湖がある浜松の屋外でも揺れを感じることができました。
その時は「結構揺れたな~」くらいのものだったのですが、ニュース映像などで被害の全貌が明らかになってくると事の重大さがだんだんとわかってきました。
その日の夜には大会本部長として大会の中断を決断して、全国から集まった学生たちを至急帰らせることになりました。
衝撃の光景
当然、自分たちも家に帰らなくてはいけないので、部員たちと荷物をまとめトボトボと関西方面へ車を走らせました。
東名高速道路の東へ向かう上り車線は当然ガラガラで、私たちも尻尾を巻いて西へ逃げていきました。
しばらく走っていると、人生で初めて見る異様な光景に出会ったのです。
上り車線に突然、車列が表れたのです。
それも赤色灯を光らせる真っ赤な車ばかり。
そう、被災地に向かう緊急消防援助隊の車両です。
自分たちは尻尾を巻いて西に向かっているのに、対向車線には東を向いて走る真っ赤な車列。
この瞬間、多感な時期のKubo青年は思ったわけです。
「消防士になろう」
前述の毎日ウィンドサーフィンがしたいといった不純な気持ちではなく、心の底から未曽有の事態に人の役に立つ仕事がしたいと思ったのです。
採用試験から採用まで
私はその時点で3年生だったのですが、大学5年生への切符を手に入れ、大学との契約を延長していたため、就職活動は翌年になりました。
証券会社やメーカーなどから内定をいただいていたものの、並行して受験していた消防局から結果の通知をいただきました。
結果は。。。。
「補欠合格」
正直、不合格よりもビビりました。「そんなんあんの!?」って。
まあ、ご縁がなかったと諦めていました。
すると数日後
「辞退者が出たから、採用したる。回答は3日以内な。」
というありがたくも恐ろしい電話がありました。
急いで、内定をいただいた会社に謝罪行脚に回り、青年は内定先の偉いさん方に平謝りをしたわけです。
そして、紆余曲折を経て正式に内定をいただき、無事採用に至ったわけです。
最後に
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。
引き続き、消防士生活や転職に至った理由、転職について等記載していこうと思いますので、読んでいただけると嬉しいです。
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