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泣きながらでも前に進む。それが人生じゃん
難病になったせいで、両目の視野が欠けた。一度死んだ神経は、もう2度と元には戻らないらしい。元に戻るかもしれないと希望を持って、戻らないと絶望の淵へと立たされるのであれば、いっそのこと希望を持たせてくれない方が心が楽だった。
視野が狭くなっているため、毎日のように何かにぶつかっている。昨日の朝は新宿駅で、知らない人と何度もぶつかった。東京の人は大阪の人に比べると少しだけ人に興味を持たない傾向があるような気がする。ぶつかったとしても、謝ることもなく、どこかへ行ってしまう。東京の人は、人が多すぎて避けてもキリがないとこちらに向かってくる人が多い。
そのほかにも、視野が欠けたことが原因で起きた出来事がある。スーパーのレジの並ぶ場所で並んでいたつもりが、並ぶために区切られた柵の前で待っていた。僕よりも後に並んだ人がどんどんレジへと誘導される。そのときは急いでいなかったため、なんでこんなに順番を抜かされるんだろうとしか思っていなかった。
すると、目の前にきた女性が「そこは並ぶところじゃないよ」と僕に言った。僕は目の前に置かれた柵が見えていなかったのである。またやってしまったと、悲しい気持ちになったんだけれど、事情を知らない人には僕の症状がわからなくて当然だ。いつものようにへへへと頭をかきながら、適当にその場をやり過ごす。
続けざまに「そんなミスする人いる?面白い人だね」と女性が笑いながら言った。これまでも何かにぶつかったときに笑われたことが何度もある。その度に笑って乗り過ごしてきたんだけれど、疲れていたのか、女性の言葉に傷ついている自分がいた。いや、女性の言葉ではなく、思うように見えなくなったこの目にだ。
スーパーの帰り道、自分の不甲斐なさを知って、泣きそうになった。視野が元に戻ってほしいとも思ったけれど、失った視野はもう2度と元には戻らないのだ。
難病になった。失明する可能性もあったけれど、治療を頑張った甲斐もあって、それは防げた。失ったものがいくつもあるけれど、同時に手に入れたものや、元から持っていた素晴らしいものに気づく経験ができた。
この運命を死ぬまで背負って生きていく。ないものを嘆くな。あるもので勝負しろ。幸いにも自分を必要としてくれている人もいるし、もちろん自分も自分自身を必要としている。視野が欠けたからといって人生が終わったわけではない。むしろなくなってからが本番的なところもある。
なんて、宣言したところで、人生には波があるため、すべてを綺麗に受け入れられない日もやってくる。そんなときは「へこんでもいいじゃん。それが生きているってことだよ」と自分を肯定してもいい。そのあとは美味しいものを食べたり、映画や小説に触れたり、自分のご機嫌を自分で取れる人間でいたい。
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