誰かの何気ない言葉に生かされている
「あなたの文章は人の心を温かくするね」
文章を書くことが好きだった僕は、学生時代にデコログやmixiなどで日記のような文章を綴っていた。誰かの役に立つような文章ではない。その日に起きた出来事をおもしろおかしく綴ったり、自分の考えを思うがままに綴ったりしていた。
今は文章が仕事になっているため、生きていく術として、誰かの役に立つ文章を綴る必要がある。生活を守るためだから仕方ないと割り切っているし、必要なもの以外は淘汰されるという残酷な事実もきちんと理解しているつもりだ。
しかし、当時は誰かのためではなく、ただ自分の記録を残すためだけに文章を綴っていた。余計なことを何も考えずに、自分の頭の中の言葉を取り出すあの時間がシンプルに楽しかった。今みたいにプレッシャーに悩まされることはないし、苦しいという気持ちは当然芽生えない。文章が仕事になった今、当時のあの感覚はもう戻ってこないんだろうなと考えると寂しくなる。
毎日のように文章を綴っていると、ネット上で何人もの友達ができていた。僕と同じ文章を好きな人たちだ。実際に会うことはなかったけれど、同じものを好きという理由だけで、居心地が良かった。友達の文章を読んで、笑わされたり、いいこと言うじゃんと勉強になったり。お互いの文章を読み合って、コメントをし合う。そんな日々が楽しくて、毎日のように文章を綴っていた。
ネット上の友人はいつも僕のブログにコメントをしてくれた。どのコメントも前向きなものばかりで、読むたびに心が温かくなる。人のいいところを見つける天才なのかもしれないと思うほどにだ。とある日に、僕の文章を読んでくれたネット上の友人が「あなたの文章は人の心を温かくするね」という言葉をくれた。いつもふざけてばかりいた友人からの言葉は誰かからもらった言葉のどれよりも心に突き刺さった。その証拠に今でも友人の言葉が僕の文章を書く糧となっている。
趣味で書いていた文章だったのに、誰かの力になっていたという事実。友人がいなかったら、僕は文章を仕事にしていなかったかもしれないし、文章を書いていて苦しくなったときは、いつもこの言葉を思い出している。きっと友人は温かい言葉をくれたことすら忘れているかもしれない。それでも受けての心には今もこうしてずっと胸に残り続ける。
何気ない言葉が人を生かしも殺しもする。だからこそ、温かい言葉を綴れる人でありたい。それが自分のためであり、文章を書く上でもっとも気遣っていることだ。