たとえ「1番」になれなくとも
「上にはなんぼでも上がおるもんよ」
社会人になりたての頃は、じぶんがトップになれると信じてやまなかった。どこからその自信が溢れ出てきていたのかはわからない。しかも、なんのトップになりたいのかもわからなかった。
でも、仕事を覚えるのも、要領を掴むのも早かったのも事実だ。社内にこいつには敵わないと思う人はいなかったし、3年もあれば全員ごぼう抜きできるだろうと思っていた。社内の評価はうなぎ上りに上がっていたし、自信が確信になるまでにそう時間はかからなかった。
会社員として働きながら、文章を書くようになって、考え方は180度変わった。文章を書くのに疎かったため、思うような結果が出ない。寝食を削ってみたものの、書けば書くほど周りのすごさに打ちひしがれ、実力不足を痛感してばかりの日々。しょせんは井の中の蛙でしかなかった。
文章で結果を出す人を見るたびに、「人は人、じぶんはじぶん」と言い聞かせていた。「周りとは違う」と言い聞かせ、体裁を保ち、やらない理由をなくしてしまう。勝てない理由を探すと、やる気が削がれてしまうのは目に見えていたため、じぶんを守るので精一杯だった。
こんなもんじゃないと力を蓄えようとしても、上を見れば見るほど、結果を出している人はいる。どう足掻いても敵わない人がこの世にはたくさんいて、たまに嫌になってしまうときがある。
じぶんよりもいい文章を書く人はごまんといるし、賞を受賞したり、「仕事しました」の報告を見るたびに嫉妬してしまう。「人は人。じぶんはじぶん」は素晴らしい考え方だけれど、現状から逃げるための好都合の言葉に過ぎない。
「人は人。じぶんはじぶん」は間違いないけれど、ちゃんと負けを認めて、そこから這い上がれなければ、成長は止まってしまう。
ライターとして飯を食えている事実は誇りに思ってもいいが、この程度で満足してはならないのだ。上を目指すのであれば、傲慢になっている暇はない。そんな暇があるならじぶんの腕を磨く時間を作るべきだ。
社会人になってからは、ずっと悔しさが原動力となっている。上には上がいるし、一生かけても追いつけない人もたくさんいる。でも、敵わない人がいるからなんだと言うのだ。それが諦める理由にはならないし、やる理由が増えるだけに過ぎない。
どうせやるなら1番を目指したい。たとえ1番になれなくとも、上を目指し続ける。やり続ける理由はそれで十分だ。蕾が大輪の花を咲かすその日まで、今日も明日も来年も、ずっと変わらず文章を書き続けよう。