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ジョークに溢れた人生を
春の夜は、暑くも寒くもないから割と好きだ。春風はやけに心地良くて不思議と落ち着く。ふとした瞬間に揺れ動く涙腺。誰かがノックしたわけもなく緩むたびに、自分の心を落ち着けるために躍起になる。自分からこぼれた落ちた雫は、一体どこへ向かうのだろうか。ただただ蒸発して消えていくだけならそれは寂しい。せめて何かの役に立っていたら嬉しいなんて言える余裕はなく、頬を伝うさまを見つめることしかできない日々。
noteに書いている内容は、半分嘘で、半分本当の話。何事も面白おかしく書ける人になりたいけれど、自分の意見はきちんと持っていたい。誰かに「自分がない」と言われた日には、あまりのショックで夜も眠れないかもしれないし、スッと眠りにつく可能性もある。僕はエッセイだけでなく、創作も書いているため、どこまでが本当の自分で、どこからが偽りなのかがよくわからなくなってしまった。
同じ人が書いているのに、その日によって文章の顔が異なる。前向きな場合もあれば、後ろ向きな場合もある。この人が書いた文章だと認識してもらいたいのであれば、書き方は統一したほうが賢明だ。自分の色をきちんと認識して、文章を書かなければ、唯一無二にはなれない。そう理解しているはずなのに、いろんな文章を書きたいがいつも勝つ。ライターさんが書いた文章に偉そうに朱を入れているくせに、当の本人が規則正しい文章を書けないという矛盾。
ジョークであってほしいと願う出来事が起きる人生には往々として起きるものだ。もしかしたら人生自体がジョークなのかもしれないと思いたいときもある。それはあまりのショックに耐えきれない出来事が起きたときだ。もしもそれがジョークならば、せめて面白くあってほしいと願うのに、それは到底叶わない代物だ。楽しいだけの人生がいい。そんな甘えた理想を掲げているくせに、もしもそれが実現したとしても、ジョークであってほしいと思うのだろう。人生には苦しさをいい経験だと思える強さが必要だ。どんな出来事も納得できれば、生きやすさが多い生涯となる。
今こうして書いている話も、本心なのかジョークなのかがわからない。人生は楽しくて悲しくてよくわからないものだ。まさかともしもばかりが起きるし、それの対応に追われているうちにあっという間に時は過ぎ去る。
「もう一度生まれ変わるなら何がいい?」という問いに対して、いつも「生まれ変わりたくない」と答えている。それは人生に後悔を残さないという誓いと、どうかせめてジョークであってくれという願いから来ているものなのだろう。
でも、明日に人生が終わるなんて考えたくない。どうか最後まで生き抜いて、これほどまでに幸せな人生はジョークに決まっていると言いながら死んでいきたい。
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