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何も持たざる者は「勝てる土俵」を探し続けるしかない

「自分には何もない」というコンプレックスの塊。

東京のとあるベンチャー企業にインターンシップに参加した時の話。

一緒に参加していた周りの人たちは東大や早稲田、名だたる大学出身の人たちだらけ。そんな自分はFラン大学の出身。話のレベルについていくこともできず、圧倒的な差を見せ付けられ、ただただ呆然としていた。

地頭の違いか思考レベルが圧倒的に負けていた。「なんでそんなことが思いつくの?」ばかりが頭に思い浮か美、負けているという劣等感が自分を追い詰める。

インターンシップ終わりの懇親会。地方から来た自分をもてなしてくれた高学歴の人たち。おい、頭だけでなく性格も良いのか。勝てる要素がない。どうすればいい?勝てる場所がどこにも見当たらなかった。

何にもできない自分への劣等感。作りも出来も違うから負けた。そう認めざるを得なかった。

いや、違う。作りも出来も違うなんてただの言い訳に過ぎない。そんなものは自分を甘やかす材料にしかならないし、そこで終わってしまってはただの負け犬に成り下がるだけ。

そもそも過去にしてきた努力のレベルが違ったんだから、負けているのは当たり前のこと。何も努力をしてこなかった自分は勝てないに決まっているだろう。

東京で得たものは、何もできなかったという劣等感と今までサボってきたツケが今回ってきたという事実を思い知ったこと。

それでも負けたくなかった。そこで終わってしまっては男の名が恥じてしまうだけでしょ。

「今は勝てなくても、10年後は必ず勝ってみせる。」

悔しさと劣等感を胸に夜行バスに乗って、東京を後にした。

初めて東京に出て知った圧倒的な敗北感。あなたは敗北から何かを学ぶことができているだろうか?

今思えば勝てなくてよかった。圧倒的な敗北から学んだこと。それは自分が勝てる土俵を自分で見つける必要があるということ。努力の差は今は覆すことはできない。サボっていたツケが今回ってきただけの話だから、これからどうするかが肝心だということ。

勝てないのなら自分が勝てる土俵を見つけ、そいつに向かって努力をすれば良い。

いったい自分は誰と闘っていたんだろう?

何も持たざる者は、自分が勝てる土俵を見つけるしかない。何もないと嘆くのは簡単だ。でもそいつを認めるには強さと諦めが必要となる。今のままじゃダメだって本気で思うことができるのなら受け入れるなんて簡単なことでしょ?

自分には何もないと認める弱さと、自分が勝てる土俵を探し続ける強さ。何も努力をしてこなかった人間は、努力をしてきた人間に勝てるわけがないし、もし勝てると思っているなら、「努力をなめるな」と力の限り言ってやりたい。

強さと弱さを兼ね備えること。強いだけでは意味がないし、弱いままじゃ一歩も前には進めない。できないと認める弱さを認める強さ。勝てない土俵では勝たなくても良い。負けを潔く認めてしまえば良い。

でも勝てる土俵を見つけたのなら、そこでは死ぬほどの努力をきちんとすること。勝てる土俵では絶対に負けてはならない。だから死ぬ気で自分の立ち位置をキープし続けろ。

勝てる土俵が見つからないなら、勝てる土俵が見つかるまでは諦めてはならない。勝てる土俵を見つけようともせず、何もしないならそこで何もせず、指を咥えてただ時が過ぎるのを待てばいい。

僕には学歴がない。でも高学歴の人に勝てる土俵はきっとある。だから文章を死ぬ気で毎日書き続けている。勝ち負けの判断は自分で決める必要があって、誰かの判断基準に流される必要はない。

自暴自棄にならずに、自分を俯瞰的に見れる強さを。そして、できないものはできないという認める弱さを兼ね備えること。

今「何もない」というコンプレックスを抱えているのなら、そいつはバネに変えてしまえばいい。負け犬に成り下がるか。そいつをバネにして、勝てる土俵を見つけるかは、結局のところ自分次第だ。

泣き言なんて言ってる暇はない。とにかく手を動かせ、頭が悪いなら、本を読め、人と話せ、勉強をしろ。そうやって今までの自分と決別しろ。自分を変えるのは自分の手でだ。

誰かが変えてくれると期待するな。誰も変えてくれはしないから、待つ時間があるなら自分で迎えに行け。

人生なんて自分次第だ。結果には必ず原因が付き纏うから、良い結果を出したいなら、良い結果を出せるよう努力をするしかない。

何も持っていないというコンプレックスは大きな力となる。

だから、「どうせ自分は」なんて思わないで、自分が持っている素敵なもので、勝負し続けろ。



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