見出し画像

誰かの役に立ち続けることの弊害

「誰かの役に立ちたい」という気持ちを持つことはとても素敵なことで、その気持ちを持っている人はずっとその気持ちを持っていてほしいと願う。

僕だって誰かの役に立ちたいし、役に立とうと意識しながら生活を送っている。でもどうだろう。誰かの役に立つことを意識しすぎて、疲弊してしまうことだってあるよね。

役に立つのは嬉しいことだけど、役に立ち続けるのはなんかしんどい。役に立ち続けると要求レベルが少しずつ高くなってしまうからそんなに求められても困るよって気持ちになる。それでも期待に応えようと躍起になるんだけどね。

「〜さんならもっとできるはず」という期待に応えようとして、今まで何人んの人たちが潰れてきたんだろうか。その数は知る由もないけど、僕が知る限りでもかなりの数の人間が潰れてしまっていることは確かだ。

「誰かの役に立つ」という目的を果たすために、自分のやりたいことではないことを追い求めてしまっている人が多い。「誰かの役に立つ」という呪縛から逃れられなくなってしまえば、自分のやりたいことベースではなく、他人軸で生きることになってしまう。

誰かの役に立ち続けることが自分のやりたいことならそれで良いと思うけどさ。

さて他人軸で生きる人生は幸せなんだろうか?

きっと僕らがこの世に産み落とされた理由は、自分の人生を幸せに生きることなんだ。別に幸せの大小なんてなんでも良い。朝起きて、眠りにつくまでを幸せだと感じる人もいるし、地位や名声を得ることが幸せな人だっている。

人生において重要なのは自分が幸せになることだ。自己犠牲の上で、誰かが幸せになることはあなたにとって幸せな人生ではない。

だから自分の幸せを追求しましょうよ。誰かの役に立ち続けることに疲弊してしまう前に。確かに誰かが喜ぶ顔を見ることは嬉しいこと。でも人のことを意識しすぎるあまり自分のことを無下に扱ったりしていないかい?

別に気にしなくたって良いんだよ。誰かの役に立たなくても。極論生きているだけで誰かの愛する人になっていたり、誰かを愛してしまっているんだもん。もう十分誰かの生きる意味をあなたは担うことができているんだよ。

だからたまには自己中になってください。

時には誰かの役に立つことを考えずわがままな自分を表に出してしまって良い。だってあなたは誰かの役に立とうと頑張ったんだから。そんな自分のご褒美として、自分を甘やかすこともしてあげれば良い。

あなたはもう十分頑張っているから、たまには自分に優しくね。

ありがとうございます٩( 'ω' )و活動資金に充てさせて頂きます!あなたに良いことがありますように!