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夜明け前の海の青さを知る人よ

悔しくて泣いた夜、友達と浴びるぐらい酒を飲みながら馬鹿騒ぎした夜、終電を逃して友達と地元まで歩いた夜、恋人と電話しながら寝落ちしてしまった夜。幾つもの夜の連なりが、いまの自分を形成していると言っても過言ではない。そして、忘れたくないと思えるかけがえのない夜の数だけ人間の深みが増すのだろう。

さて、忘れたくない夜をお持ちだろうか。もしくは忘れたいけれど忘れられない夜はお持ちだろうか。覚えておきたいと思えば思うほどに、人間の心はそれに反して忘れていく。逆に忘れたいと思えば思うほどに、刺さった釘のように心の中に残り続ける。

真っ青な夜。銀色のブランコを目一杯漕ぐ。足が届いたと思った鉄塔は、はるか先に存在しており、届いたという錯覚だけがその場に残る。影と影が重なり合って、1つになった途端に、別の影となった。光をより際立たせるために影が存在すると誰かが言った。どちらになりたいなんて愚問に、適切な答えを出せる人はいるのだろうか。


綺麗な月を見るたびに思い出す。綺麗なままでいたいと言って、20代で死ぬと言っていた彼女は、今も元気にやっているのだろうか。かつて容姿の美しさに囚われ続けるうちは真の美しさに気付けないと言っていた人がいた。その人が真の美しさに出会えたのかどうかも知らないし、結論どうだっていい。

枯れ果てた砂漠に足を踏み入れたときに一輪の花を探す人になるためには、何が必要なのだろうか。綺麗な心を持ちたいと願えば願うほどに醜い心がどんどん浮き彫りになっていく感覚がある。綺麗な思い出と醜い思い出。たとえ醜い思い出を思い出したとしても、夜が優しさを解き放ち、見て見ぬ振りをしてくれるという救いが人間の生を輝かせるのだ。

とはいえ、日に差された瞬間に、どんな思い出も露わになっていくから太陽は残酷だと思う。でも、夜が明けるたびに、空が違う顔をしているのも事実で、日の移り変わりに救われる日があるのも事実である。自転と公転。どちらかが終わってしまったならば、ずっと夜が終わらないのかもしれないし、そもそも地球がなくなってしまうかもしれない。

夜明け前の青い海に救われた数だけ人は強くなれる。もしも夜明け後に弱くなってもいいのであれば、夜など存在しなくていい。花が季節を待つように、人間も季節の移ろいの中を生きていて、変わりゆくことすら美しいと思えたならば、人生に深みが増していくのだろう。

さて、忘れたくない夜をお持ちだろうか。もしくは忘れたいけれど忘れられない夜はお持ちだろうか。覚えておきたいと思えば思うほどに、人間の心はそれに反して忘れていく。逆に忘れたいと思えば思うほどに、刺さった釘のように心の中に残り続けるのだろう。

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