人間は嫌な記憶から順番に忘れる傾向にあるらしい
どうやら人間は、嫌な記憶から順番に忘れる傾向にあるらしい。自身が察知した危険から本能が体を守ろうとするときに、この習性は発揮される。仕事で失敗したときや失恋はいますぐに忘れたい。そう感じた瞬間に、脳が勝手に嫌な記憶を消去する。
では人間は嫌な記憶から順番に忘れていくのに、なぜ不幸の度合いが高いものはずっと鮮明に覚えているのか。あまりにも悲しすぎる出来事は脳ではなく、体が勝手に覚えているのかもしれない。そう考えると合点がいく。
高校から社会人になるまでの不幸の度合いが低い記憶がほとんどない。本来あったはずの記憶がずっと思い出せずにいる。嬉しいような悲しいような複雑な感じだ。人生を深く味わうためにも、たまにでいいから不幸の度合いが低い記憶を思い出したい。それが自身のアイデンティティになる場合もあるため、嫌な思い出が人生を変えるきっかけになる場合もある。
僕は学生時代の思い出を聞かれたときに、いつも言葉に詰まってしまう。不幸の度合いが高い話ならいくらでも思い出せるけれど、そのほかの記憶がほとんどない。人の不幸話を聞いたところで、誰も幸せにならないのに、頭に思い浮かぶのは、いつだって不幸な思い出ばかりである。
いまはなんとも思わないけれど、社会人になりたての頃は、嫌な思い出が勝手にフラッシュバックして、突然涙が流れるなんてことが何度もあった。いまはなんとも思わないけれど、当時はフラッシュバックするほどまでに強烈な出来事だったんだろう。
とはいえ、学生時代の記憶がほとんどないと言ったけれど、もちろん断片的に覚えている記憶はある。それは楽しい記憶で、放課後に友達と買い食いをした思い出だとか、友達と行った卒業旅行の思い出だとかそういった思い出ばかりだ。楽しい思い思いでも嫌な思いで同様、体が記憶しているんだろう。
いま思えば、人生に絶望していた時期があった。学生時代といえば、青春真っ盛りである。勉強なんて二の次で。どうすれば遊びに時間を使えるかとか、恋をしていたいとか、学業には関係ないことばかりに時間を使っている友人が周りにたくさんいた。恋はそれなりにしてきたけれど、家庭の影響でほとんど誰かと遊んだ記憶がない。
周りが親から援助を受けているなかで、自分の生活費だけでなく、家族の生活費を稼ぐためにずっと働き続けていた。周りの学生のようにもっと遊びたいという本音を押し殺して、なんで自分はこんなに不幸なんだとか、こんなに辛いなら生まれてこなければ良かっただとか、世界で一番不幸みたいな顔をして、何事に対しても嫌気が差していた。
高校時代までは家族との思い出が多いが、それ以降はほとんど思い出がない。家族と旅行した記憶は、中学生のときの香川旅行だけである。本音を言えば、もっとたくさん旅行がしたかった。
贅沢をしたいわけではなく、当たり前の幸せが当たり前に守られる環境にいたかった。ただそれだけの願いが、ずっと遠かった。ゴールテープの見えないマラソンをずっと走っている感覚。近づいたと思ったら遠のいて、遠のいたと思ったら本当に遠のいた。
社会人になったらすぐに一人暮らしをして、一人で生きていく。だから、一刻も早く社会人になりたかった。大学3年生のときに、毎日仕事をしながらリクルートスーツを着て、藁にもすがる思いで企業面接を受けた。行きたかった企業から無事に内定をもらい、時間が過ぎ去るのをただ待ち、理想の学生生活を送れないまま長い学生活は終わった。
社会人になってすぐに一人暮らしをする。その夢を叶えた僕は、初めての家の中で大きなガッツポーズをした。何かが変わるはずだった。ところが家が変わった以外は何も変わらない。変わったのは環境のみで、遊び方を知らない僕は、持て余した時間の使い方を知らなかった。
そこで何を選んだかというと、学生時代と同様、暇さえあれば仕事をするという選択をした。仕事を進めるなかで。文章と出会い、やがて文章を書くようになった。文章をきっかけにいろんな人と出会うようになり、自分の世界が広がったような気がした。
生きるは地獄だったけれど、地獄のなかにもちゃんと天国はある。そう知ったのは、難病になって、他人のやさしさに救われる機会が増えたためだ。僕の人生は捨てたもんじゃない。そう思えた瞬間に、過去のトラウマがなくなった。
年を重ね、体についた大きな傷が徐々に癒えていった。傷跡はずっと残るけれど、時間をかけて傷はカサブタになって、元通りに近づいていく。悲しみは比べるものではないし、癒えるまではきちんと傷付けばいい。そして、自分のタイミングで前に進めばそれでいいんだよ。