簡単に共感なんてしないでよ
じぶんの話をしたり、書いたものを読んでもらったときに、共感してもらえたら嬉しいと思うことがある。でも、共感されなくてよかったと思う日もあって、なぜ共感されない事実を嬉しく思うかはいまだにわからない。
その日の気分のせいのときもあれば、心のどこかで共感されたくないと思っているのであろう。これに関しては、うまく言語化できていないのが悔しいところだ。
悩みに対してアドバイスを求めているわけでもない。いつだって欲しいのは解決策ではなく、すでに解決した未来だけ。アドバイスは解決策かもしれないが、必ずしも解決するとは限らない。
たとえば100万円が必要だという人に100万円の稼ぎ方を教えたとしても、その人は相談した人に100万円をもらいたいと思っている可能性がある。その場合はアドバイスも無に帰すだけで、なんの役にも立たない。
そして、共感は一歩間違えれば同情になってしまう。相手が共感だと思っていても、受け手は同情されていると感じる場合もある。だから、気軽に共感してはならないのだ。
その昔、安達祐実主演の家なき子で「同情するなら金をくれ」という台詞があった。この言葉はまさにその通りだなと思った。求めているのは解決した未来であって、同情なんて求めてないし、されたくない。
だから共感したとしても、相手にはあえてそれを伝えない。伝えても良さそうだなと思ったらきちんと伝えるけど、ダメだと思ったときは、相手には絶対に伝えないようにしている。
相手の苦しみに寄り添う共感という行為は、一歩間違えれば、相手を追い詰める行為になってしまう。だからこそ、気軽に共感するのではなく、ただそばにいて、相手の話を聞くに徹する。絶対にアドバイスもしない。そんなことは求められていないだろうし、共に時間を過ごすだけでも救われる場合だってある。
中途半端な共感はかえって相手を傷つけてしまう。悩みの本当の苦しみは当事者にしかわからない。だから、共感するのではなく、ただ時間を共に過ごす。それ以上のことはできないんじゃないかな。
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