足るを知ることが生きやすさに繋がるのかもしれない
恐怖や不安を抱えているときは、やけに体に力が入る。抱きしめておきたいものを離さないようにするが、強すぎる力はいつも大切なものを壊してきた。不安はなくならない。これまでに何度も聞かされてきた周知の事実だ。ところが、心と体は切り離されており、頭ではわかっているけれど、感情が追いつかないという場面とよく遭遇しては、困ったなぁと首を傾げる。
疲れているときは特に視野が狭くなり、大切な助言をしてくれていることさえ気づけない。まるで周りが敵になったような感覚に陥って、ここには自分の居場所はないし、わかってくれる人はどこにもいないと自暴自棄になる。そういった過ちをこれまでに何度も繰り返してきたし、きっとこれからも繰り返してしまうのだろう。
心と体の疲れはリンクしているようで、リンクしていない。厳密と言うと、自分が認知していないだけで、疲れの症状自体は両者に出る。心と体の疲れに気づけた場合はいいのだけれど、気づけない場合が非常に厄介だ。知らぬ間に無理をしてしまって、それが無茶へと変化する。挙句の果てには体調を崩し、最悪の場合だと二度とその場所に戻ってこれなくなる。時間をかけて積み上げてきたものが砂の城にように崩れ去り、そこに残るのは後悔だけだ。
心と体の疲れを少しでも感じ取った人はすぐに心の安寧を求めてほしいと願う。誰かと過ごす選択をしてもいいし、1人でどこかへ出かけるなど少しでもリラックスできるならどこでもいい。余裕を持てなくなると、大切なものが見えなくなる。不本意に人を傷つけて、人が離れる場合もあって、そんな時に余裕がなかったと言ったとしても相手には伝わらない可能性が高い。
最近すべてを1人でなんとかするのは無理だと思うことがよくある。1人の人間のキャパはたかがしれている。想像以上に1人では何もできない。だからといって何もできないわけでもなく、心の声に耳を傾けて大切なものを確認したり、深呼吸して心を落ち着かせたりすることはできる。
自分に期待してもいいのだけれど、期待しすぎると心が苦しくなる。大切なのは自分ができることとできないことをきちんと知ることだと思う。できないことはできないと割り切って誰かに頼る。自分ができることは最大限に努力して解決に励む。その両輪をうまく回せるようになれば、生きづらさは生きやすさに変わるのかもしれない。
頭も心もひとつしかないからこそ、丁寧に扱い、足りない部分を誰かに補足してもらう。そして、自分に余裕ができた際は、困っている人に手を差し伸べる。小さくともそうやって優しさのサイクルが回っていけばいい。