誰かに飲みに誘われたいという願望
カウンター席の端っこに座ると、つい落ち着きすぎてしまう。静かなバーの隅に居場所を見つけるのは得意だ。赤いカクテルを片手に、まるで世界の全てを理解しているような顔をする。でも実際のところ、そんな顔をしていても、僕の心の奥底には、小さな寂しさが潜んでいる。
上京してもうすぐ2年が経つが、気軽に誘える友達がほとんどいない。誘われるなんてもってのほかで、誰かと飲みにいく場合は、大抵がこちら主導だ。
僕だって、たまには飲みに誘われたい。そこに別に特別な理由なんてない。ただの気まぐれでもいい。飲みに行こう、って誰かに声をかけられる瞬間、はまるで暖かい毛布を肩にかけてもらったような気分になる。自分と同じ時間を共有したいと思ってくれている。その事実があるだけで心が救われる。そんな当たり前のことが、どうしてこんなにも胸を締め付けるんだろう。
基本的には1人でバーに繰り出し、その場にいた人たちと飲んでいる。だが、大抵はもうすでにコミュニティは出来上がっていて、そこに入り込む余地はない。どうやってそこに入ればいいのかがわからないし、入れてもらえるほど魅力がある人間かどうかの自信もない。バーで出会って、会話を楽しむだけの関係だ。それ以上の付き合いに至ったことはない。僕はコミュニティの中心にいる人の影に隠れるようにして生きている。特別目立つわけでもなく、でも嫌われることもなく。仲間に引き入れたいという決定的な魅力がない。誰かが「今日は誰を誘おうか」と考えるとき、自分の名前が真っ先に浮かぶことはないだろう。そんな言葉ばかりが脳裏に思い浮かぶ。
そんな自分が情けなくなる。だけど、だからといって何を変えればいいのかがわからない。僕には、人を惹きつけるような話術もないし、興味を持ってもらえるような特徴もない。何かを持っていないことを嘆いても、持っていないものは持っていない。それでも、時々どうしようもなく、誰かに気にかけてほしいと思う。
ある日、仕事終わりにふらりと立ち寄ったバーで隣に座っていた年上の男が言った。
「ひとりで飲むのも悪くないけど、誰かと飲む酒はまた格別だよな」
その言葉に、僕はただ曖昧に笑った。そこに羨望の意味は含まれていない。でも、その時ふと気づいた。僕は、ここ最近ひとりで飲むことに慣れすぎていたのかもしれない。誰かと飲む楽しさを、自分から遠ざけていたのかもしれない。誘われないことを嘆くばかりで、自分から誘うことは一度もなかった。誘われるのをただ待ち、時間が流れるのを指を咥えて立っていた。まるで何もしないで宝くじが当たるのを待つように。
その日から少しずつ、自分を変えることにした。大それたことはしない。ただ、誰かに声をかけてみる。短い一言を送るだけでもいい。
「今日、飲みに行かない?」
最初は勇気が必要だったし、断られるのが怖かった。だけど意外と、みんな喜んでくれた。ある人は「久しぶりだね」と言いながら笑い、ある人は「ちょうど飲みたかったんだ」と目を輝かせた。そして、そんな小さなアクションが、日常を少しずつ変えていった。
会いたいと思う人を誘うことで、誰かとの時間が生まれる。そして、誘うことで、自分自身が少しずつ暖かくなっていくのを感じた。
もちろん、いまだに誘われることへの憧れはある。でも、今はそれだけじゃない。誘われたいと願う自分を、そのまま受け入れられるようになった。そして、誘われたいと思うのなら、自分からも誘っていいんだということに気づいた。気づくのが少し遅かったけれど、それでも良い。
バーの端っこで、一人酒を楽しむ夜もまだある。でも、そんな夜の向こうに、誰かと過ごす未来がぼんやりと見える。赤いカクテルの向こう側に浮かぶその景色は、きっとこれからもっと鮮やかになるのだろう。誰かに誘われたいという欲はまだ消えてくれない。だけど今は、それ以上に、誰かを誘いたいと思えるようになった。そしてその気持ちは、確かに僕を少しずつ変えていくんだと思う。