結局、欲しかったのは「共感」だけだった
僕が欲しいのは結局「共感」だけだった。共感じゃ誰も救えないし、救われていたのはいつも僕の方だった。
自分が書いた文章で誰かを前向きにしたり、背中を押すきっかけとなりたい。
そう思って始めた文章の執筆。
今は大学生向けのメディアの運営や、いろんなウェブメディアへの寄稿や執筆。さらにはウェブメディアで編集作業もやっている。
大学生向けのメディアでは、自身の大学生活でやったことや、就職の話。大学に関する情報を記載している。
お問い合わせフォームやLINE@で大学生のお悩み相談に乗ることもある。でも自分の経験しか話せないし、悩みをただ聞いてあげることしか僕にはできなかった。
僕は悩みを持った人たちを救えたんだろうか?何か意味のあることをしてあげることができたんだろうか?
「ありがとうございました」という言葉を掛けられる。でもこっちがありがとうっていつも思ってる。僕を必要としてくれてありがとうなって。
急に始めたエッセイや自分の考えごとを記したnote。
Twitterの方向性も完全に変えて、大学生向けの情報発信をしなくなった。
Instagramでは自分の妄想を風景を添えてただただ書いているだけ。
あれ?自分の方向性見失ってない?
ブレにブレまくった約1年間。でも試行錯誤を繰り返したことに間違いはないんだろうなと自分のことを肯定したい。
結果を出すために焦った1年。でも納得いく結果は1つも出ていない。満足いく記事も書けていないし、完璧とは程遠い場所にいるそんな気分だ。
自分が文章を書くことに対して、ふと初心に戻りたくなった。
なんで文章を書いているんだろう?
自分のため?それとも誰かのため?
答えは今の所わからない。いや、きっと自分のために書いているんだろうな。誰かのためとか言って、僕は自分のためにしか動けない弱い人間だ。
あれ?僕が文章で実現したいことってなんだっけ?
自分の心の中に聞いてみても、一向にしっくり答えは出ない。
「共感」という言葉がふと脳裏をよぎる。たくさんの人に支持されるものは、「共感」を得たものだ。
悩みや生き方。恋愛に家族のこと。あまり人には言えないようなこと。
自分のことを代弁してくれるものが支持を得る。
西野カナが女性から絶大な支持を得た理由は、女性の気持ちを代弁してくれていて、それが「共感」を得たからだ。
「ああ、それめっちゃわかる〜」って感情になるもの。
そんな「共感」が欲しくて僕は文章を書いているのかもしれない。
誰かを救いたいとかそんな大言壮語を吐いて、結局のところ自分が「共感」が欲しいだけだ。
あまりに情けないよなぁ。誰かを救いたいとかほざいてるのに、「共感」が欲しいだけとかあまりにも情けない。
僕は1人になりたくない。1人の寂しさを知っているから、自分に「共感」してくれる人を探しているのだ。でもそれでもいいやって思えてきた。
誰かと共に生きていたいし、1人で生きていける自信なんか更々ないしね。
むしろ助けてもらってばかりの人生。占い師のおばちゃんに「あなたは人に恵まれる人生になる」って言われたことがある。そんなことは僕が1番わかっているし、たくさんの人のおかげで今の自分がいる。
僕が助けてもらったから、僕ができることは役立つ情報発信や、ほっこりする情報発信を心掛けている。
みんなへの恩返し。
僕にできることはきっと文章を書いて誰かの役に立つことだ。
ほんの少しでもいいから誰かのきっかけになりたいし、誰かの「共感」を得ることができるそんな文章を書いていたい。