あまりにも特別だった
今日は母の7回忌。人の死に触れるということがこんなに寂しく悲しいものだとは実際に死に触れるまでは知らなかった。
人の死はやっぱり悲しい。死んで欲しい人間なんて誰1人としていないし、できることならみんな死なないで欲しい。
母が亡くなった日もあいも変わらず世間は明るかった。人が死んだ日ぐらいは世間も喪に服して欲しいと思うんだけど、実際はそんなにうまくはいかないから嫌になるよね。
自分の身近な人が死んだとしても、世間からすれば関係のない話。世界は人の死に関係なく回り続ける。そして、世間も何食わぬ顔をして、生活を続けてんだよ。
生まれて初めて身内を亡くしたのが母だったから、そのショックはあまりにも大きいものだった。
そして、母を亡くしてからもう7年も時間が経ってしまったということに驚きを隠せない。僕ももう27歳になってしまった。時の流れは非常に残酷で、無情にも止まることが許されず、流れ続けるのが世の常。
2月16日は自分にとって特別な日。母は僕にとって特別な人だった。自分を育ててくれた人。優しさと愛を身を以て教えてくれた人。自分の中で母以上に尊敬できる人はきっとこの先現れないだろう。
何かすごい実績を残したわけでも、名声があったわけでもない。でも尊敬できる部分しかなかったから、僕にとっての母は偉大なる存在なのである。
小さい頃からとにかくお母さんっ子で、何かを成し遂げるたびに母に報告していたっけな。泥だらけの服を見てもたくさん遊んだのねって、服を汚したことに文句を何一つ言わず、ただ僕のことを褒めてくれていた。
僕のつまらない報告を聞くたびに母の喜び顔を見るのがたまらなく好きだった。
今はもう墓前でしか自分のやったことや失敗したことを報告することができないという悲しい現実。
母が亡くなった当初は、母の死を受け入れることができなかった。でも7年の月日が経った今は母の死を受け入れることができている。
「時間が解決してくれる」という言葉を盲目的に信じるしかなかった。
でも時間が解決したんじゃなくて、自分が少しずつ受け入れることができるようになっただけ。時間が解決してくれたわけではなく、時間を掛けて少しずつ受け入れることができるようになったというのが正だ。
母が命を亡くしたことを納得しているかはわからないし、それを知る由もない。それは母の中でわかっていればそれで良い。
誰かを愛すること。優しさを人に向けること。その大切さを教わったことを僕は忘れない。
人生は終わりがあるから美しい。母からもらったこの命。死ぬまではきちんと自分の人生を謳歌したいし、やりたいことがまだまだたくさんあるからもっと生きていたい。
「ありがとう」と「ごめんなさい」が多いこの人生。でも前向きに楽しく生きているからこの世に生まれてよかったって心の底から思ってんだよ。
「こんな幸せやっぱり夢だったか」と言いながら死ぬのが今の自分の夢。死ぬまではきちんと生きていよう。
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