相手の好きじゃない部分を認める勇気
どれだけ相手のことが好きであろうと、合わない部分は絶対にある。
もしも合わない部分が出てきた時は、少し距離を取ってみたり、相手のことを認めたりすることで、相手との関係性を壊さないように心掛けている。
生まれも育ってきた家庭も環境も違うのだから、自分とは違う部分があって当然のこと。でも悲しいことに、価値観の相違で関係性が崩れるという瞬間を今までにたくさん見てきた。
人と人の関係が壊れるその様は見ていて、やっぱり悲しいものがある。人と人の関係は呆気なく壊れてしまう。昨日までは仲が良かったのに、突然関係が壊れるなんてのはよくある話だ。
仲の良かった友人同士の絶縁。好き同士だったはずの恋人たちの別れ。育ててもらった実の親との家庭崩壊。
人間関係の破綻のパターンは様々だけど、「もっとうまくやれたんじゃないかな?」て考えてしまう。嫌なことをされたからそれに傷ついて壊れるパターンと嫌なことをしてしまったから壊れるパターン。そもそも相手に合わせる気がなくて壊れるパターン。
自分のことじゃないから、その人がどう歩み寄るかなんだけど、どうしても壊れてしまった人間関係に介入したくなってしまうんだよ。
どうすれば良かったかを考えるだけで、実際に介入するわけではなく、その様をただ見届けることしかできないからむずかゆくなってしまうね。
人の価値観や考え方の相違を認めること。簡単に思えて実際にやってみるとこれがなかなか難しい。さらに厄介なことに片方が認めたとしても、もう片方が拒絶してしまったらその関係性は崩れ去るという難点を抱えている。
人間関係は2人の考えが一致、もしくは認め合うことができなければ、関係がうまくいくことは少ない。
自分が相手の価値観や考え方を認めたとしても、相手が認めてくれなかったら何の意味もないもんね。
これは完全に僕の持論なんだけど、嫌いな人は出来るだけ少ない方がいいって思っている。嫌いな人を作ることは悲しいことだし、距離を取ればいいだけの話。
誰かを嫌っているという事実を僕は抱えたくない。でもどうせ嫌われてしまうから、嫌われても仕方ないという勇気を持ち合わせて、せめて自分だけは相手のことを認め続ける勇気が欲しいものね。