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世にも奇妙な人生
すべての人生には、ドラマがある。ありとあらゆる映画や小説の世界に触れて、自分の人生にもドラマが起きるかもと期待しては、何も起きない日常を生きているのが現実だ。
朝、目が覚めてすぐに今日こそは何かが起きますようにと、太陽に向かって祈りを捧げる。ギリシャ神話によると。太陽に近づきた天使は翼をもがれるとのことだ。どれだけ必死に足掻いても、人間は神にはなれない。月の明かりに照らされるぐらいがちょうど良いのかも。なんて朝から物思いに耽ってみても、この行動に何も意味などない。
家の近くにある小学校には、たくさんの子どもたちが瞳を輝かせて遊んでいる。幼少期の何にもでもなれると信じていた少年だった自分はもういない。社会の辛さ、苦しさを知って、無邪気さも純粋さも失った。あるのは物事をまっすぐではなく、斜めに見る視線だ。一体どこで何を間違えたのか。それすらもわからない。
すべての人生には、ドラマがあると思いたい。とはいえ、簡単にドラマなんて起きないのだ。人生の主人公は自分自身なのだけれど、世界の主人公は自身ではない。では、この世界は主人公は誰なのだろうか。この問いの答えは、主人公なんていないが正解である。主人公になりたがる人が存在するだけで、本当の意味での主人公などどこにも存在しない。
僕は朝から何を考えているのだろうか。もはや自分のことすらわからないどころか、何をわかっていて、何がわかっていないのかも正直わからない。人生の話になると主語が大きくなる。なんで人生にはドラマがあることをテーマに書いてしまったんだろうか。この文章を書き始めてから、ずっと後悔ばかりしている。
多分、朝の一連の出来事にもドラマは起きているのだけれど、僕はその事実に気づけていない。もしくはドラマにするだけの技量を持ち合わせていない可能性もある。日常生活の一部を切り取って、エッセイを書ける人もいれば、書けない人もいる。これはきっと、感受性の違いによるものなのだろう。
人生にはドラマなんて滅多に起きなくいのが常だ。ドラマが起きてほしいと願う自分がそこに存在するにほかならない。ドラマが起きるときはドラマを起こす行動を起こしたときだけで、そのほかは何の変哲もない日常が流れるのが世の常だ。心のどこかで、ドラマなんて起きなくていいと思っている自分がいる。綺麗な景色を見たとき、美味しいものを食べたとき、くだらない話を思いついたとき、会いたくなったときに思い出せる人いる。それで十分だ。
きっと多くを望みすぎると、ギリシャ神話のイカロスのように、翼をもがれるのがオチだ。身の丈にあった幸せがあればそれで十分である。とはいえ、身の丈を大きくしていきたいと思うから今後も努力を続けるつもりだ。たとえ人生にドラマが起きなかったとしても、笑って終えられるようにしたい。願いはただそれだけ、なのである。
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