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生きてる意味なんてなかった。でも、それは間違いだった

生きてる意味なんてなかった。朝起きて目が覚める。そして、日が暮れて、ベッドで眠りにつく。ただそれの繰り返しを過ごしているだけで、生きたいと思わなかった。でも死ぬ理由もなかったし、死ぬのも怖かったから生きていたんだ。

幸福の意味なんて知らない。

「死にたいなんて言うな。諦めずに生きろ」

こんな言葉が正しいなんて馬鹿げてるだろ。なんてことを当時は思っていた。

歳をとり、子どもから大人になり、やがて枯れ葉のように朽ちていく。そして知らない間に儚く散ってしまう。人の命なんてそんなもんだ。いとも簡単に崩れていく。

「今日もどこかで誰かが死んだ」

画面越しで誰かが死ぬニュースを見ては、死ぬのが自分じゃなくて良かったと心の底から安堵する。

今日は「生きる意味がない」と心が冷めきっていた少年時代のお話をしていこう。


僕の家は母、父、姉の4人家族で構成されている。そして、悲しいことに僕の家には絶望的にお金がなかった。学生時代はバイトをしながら生活費を稼ぎ、家にお金を入れつつ、自分の食費や生活費を賄っていた。

「なんのために生きてんだろう?」という疑問を常に抱いていた。

生きることに意味なんてなかった。生に意味を見出せなかったというのが事実なのかもしれない。いつの日かお金を稼ぐことだけが、僕の生きる目的になっていた。楽しいことは一切なかったし、生きるために稼ぐことが僕の使命となっていたんだよ。

今は「あの頃の経験は無駄じゃなかった」と言えるけど、当時はそんな言葉をとてもじゃないけど口が裂けても言えない。自分の思いを誰にも吐き出せず、笑うことさえもままならない。作り笑いをすることに慣れてしまった僕は作り笑いが特技になっていた。

作り笑いをしておけば大体乗り切れた。どれだけ面白くなかろうと笑ってさえいれば、周りは面白がってくれたからそれで良かった。

その一方で心の奥底は常に冷え切っていた。

「おもんねえな」って思いながら、作り笑いをしていたのだ。悪さをする友人を見ては、「ガキだな」って見下していた。

「大人に構って欲しいから悪さをしている」ってことが、目に見えていたから、そんなガキにはなりたくないと心の底から思っていたのだ。

悪さをしなかった理由は親に迷惑を掛けたくなかったから。

親に迷惑が掛かるといけないという考えが僕の中で浸透しきっていた。親に迷惑を掛けてしまうと、親が困ってしまう。だから僕は悪い子にはならず優等生を演じきっていた。

成績もそれなりに優秀で、常に良い子のレッテルを貼られていた。

でも、それはきっと僕なりの精一杯の気遣いだったんであろう。なんて嫌な奴だったんだろう。心が冷めきった奴というレッテルを貼られても納得でしかない。

辛くて1人で河川敷に行って泣いた夜もあった。

頼れる人はたくさんいるのに、誰にも悩みを打ち明けない。勝手に1人になって、勝手に世界に絶望する。今振り返ると、バカだなって思うけれど、当時は、ずっと1人で戦っているみたいだった。

心のどこかで助けを求めていたと思う。でも、それをどう表現すればいいのかがわからなかったから助けなんて求めなかった。

「人生はお金じゃない」

ある友人が僕に言った言葉。この言葉を聞いた僕は、知らない人からいきなり顔面を殴られたような今までにない強い衝撃を受けた。

「ぬくぬく温室で育ってきたクソガキがなに言ってんだ」って本気で思った。自分でお金を稼いで生活したことがないのに、なんでそんな言葉を言えるんだろうって。ほんとうに心の底から悔しかったし、あの時ほど自分の無力さを実感したことはない。

「お金に困ったことがないって幸せなのかな?」

こんなことが頭に浮かんだのだ。ぬくぬく温室で育った人は、お金がない絶望さをきっと知らない。でも家庭にお金があるかないかはそれは運ゲーみたいなもので、誰にもコントロールすることはできない。

やりたいことを「お金がない」という理由で、何度も何度も諦めてきた。お金がないと精神的に余裕がなくなる。そして、正常な判断ができなくなることもある。

お金があることよりもお金がないことの方がよっぽど悪で、お金がない人の最終手段は犯罪に走ること。お金がないから泥棒をするし、お金がないから自殺をする人だっている。お金があれば、、、なんて考えたこともあったけど、こればっかりは自分でどうにかするしかない。

お金が選択肢を広げてくれるものなのは間違いない。でもお金がない人にとってはお金は悪でしかないのだ。いまはお金を好きになったけれど、当時はお金のことが憎くてたまらなかった。

お金のあるなしが精神にかなり影響を与えることは間違いない。お金の持つ力は時に尊く、時に儚い。僕はお金に執着する人生から卒業したかった。


人生に希望を見出せなかった僕は、学生時代にせめて何者かになろうとした時期もあった。でも自分探しをしようとすればするほど、何者にもなれないということに気づいては絶望するという無限ループをぐるぐる回していた。

育った環境も出会った人も違うから憧れた人には絶対になれない。真似をしたところで劣化版コピーになってしまうだけ。憧れの人にはなれなくて当然なのに、それでも憧れの人になろうと必死に努力をしていた。どうあがいても自分は自分にしかなれない。ないものはないし、あるもので勝負するしかないんだよね。

憧れたはずの誰かになれず、生きる目的を失っていた僕は空っぽだった。自分以外の何者にもなれないし、生きる希望を見出せず、勝手に世の中に絶望していた。



学生時代に衝撃的なことが起こった。それは僕が18歳の頃に母がガンになったこと。3年の闘病生活を経て、僕が21歳の頃に最愛の母が亡くなった。

あれは就活をしていた時のことだ。「内定をもらった」という知らせを母にできなかったのは、これから先も一生悔やんで生きていくんだと思う。生きてほしいと願えば願うほど、残酷な世界は、世界で一番大切な命をいとも容易くさらっていった。

誰になんと励まされようと、励ましの言葉は僕の耳に届かなかった。どんな綺麗な言葉で着飾ろうと、着飾ることしかできないただの音。言葉はただのファッションでしかなくて、タイミングが悪ければ、伝わるものも伝わらないこともあるということも知った。

あの日ほど泣いた夜はなかった。なんで母なんだろうって本気で思ったし、あの日ほど神様を本気で恨んだ日はなかった。多分あれ以上に泣くことはもうないんだろうなって思うほど泣いた。

泣いて泣いて泣き疲れて寝てしまったのは生まれて初めてのこと。でも母が亡くなったあの日から感情を取り戻した。映画やドラマで泣くことがなかった僕が、映画やドラマでも泣くようになった。

今は驚くぐらいすぐに涙が出る。ドラマのあらすじを知らないのに最終回を見ただけで涙が出てしまう。現に過去を振り返った今も涙が流れている。きっとこの文章を読み返すだけで涙が出てくるんだろうなぁ。家族ものの番組だと100%泣く。人間としての感情を取り戻したのかもしれないね。

母が僕に残してくれたものは、きっと「感情」なんだと思う。今では「笑顔が素敵だね」っていろんな人に言ってもらえるようになったよ。

作り笑いではなく、今はきちんと感情を持って笑うことができている。

もう少しで母が亡くなってから、7年が経つ。7年とは早いもので、大学を卒業し、今は僕も社会に揉まれながら生きている。子どもの頃の自分よりも少しは成長したのかな。僕は胸張って生きてるよ。人生に希望を見出すことができるようになりました。

今はね生きるのが楽しくて仕方ない。学生時代のことがまるで嘘かのように人生が楽しい。あなたが産んでくれた命は、今も懸命に光り輝こうと毎日必死にもがいてます。

ありがとう。産んでくれて。この世界に希望を見出せるようになりました。やりたいことも見つけました。今は失敗しながらもやりたいことをやれているよ。

自分は自分にしかなれない。だからこそ自分にしかできないことを増やしていこうと思う。

人生は捨てたもんじゃない。生きてさえいればいいことがある。死にたいと思った夜をなんども過ごした。助けを求めることさえできず、それでも死ぬのが怖かったから今もこうして生きている。

生きていることは奇跡だ。素晴らしい奇跡が偶然にも生を与えた。だから生まれてきたことには何か意味があるんだと思う。

生まれてきた意味は分からなくてもいいし、いまだに僕も分かっていない。生まれてきた意味を知るために、これからも僕は生を精一杯謳歌する。

今辛い人もさ、生きていたらきっといいことあると思うんだ。辛いときにこの言葉に耳を貸す必要はないけれど、心のどこか隅にでも置いておいてくれれば嬉しいな。

「生きているだけで丸儲け」とはよく言ったもので、生き続けた結果、本当に丸儲けしてる。疲れたらベンチにでも座って休もう。そして、自分のタイミングでまた少しずつ歩き出せばいいんだよ。

この文章を最後まで読んでくれた心優しいあなたが幸せになりますように。



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