12/29以降の年末ワード
2022年も残りわずかとなった。やり残したことはあれど、もう2023年に持ち越しでいいんじゃない?と前向きな諦めさえ生まれている。時間は有限で止まってほしくても止まらないもの。そう知っているからこそ、用意した選択肢の中からより大切なものを選ぶ必要がある。
30年も生きているのに、取捨選択が上手くならない。年を重ねるだけで上手になると思っていたはずが、どんどん下手になっているような気もする。ただの気のせいだったらいいのだけれど、正解不正解すらもわからないからこの際もうなんだっていいや。
人や建物が集まる都会に足を運べば運ぶほどに、何者かにならなきゃみたいな焦りが芽生えて。人並みに埋もれて身動きを取れなくなって、自分だけそこに取り残されているような感覚に陥って。朝が来る。日が落ちる。月が昇って、また消える。地球はただ周り続けるだけで許されるのに、僕たち人間は生きてきた爪痕を必死に残すために毎日を懸命にもがかなければならないのだろうか。
年の瀬に1年の振り返りの果てで、見えたものは、見つかったものは一体なんだろうか?
あのときに戻りたいと浸りたくなるような出来事もあれば、思い出したくもない最低な出来事もあるでしょう。それでも生きてきた証は自分の中にしか残されていない。起きた出来事の全部を受け止めるにはかなりの時間を要するかもしれないけれど、いつか受け止められる火が来るまでは、いつまでも胸のうちにしまい込んでおく。
くたくたになった体にまた油を注いで、ギシギシ鈍い音をさせながら、何事もなかったかのように明日のために今日を生きる。目の前にいる人の悪いところばかりに目がいくようになったら疲れている証拠。逆にいいところにばかり目がいくようになったら、前を向いて生きている証拠。傷ついて痛みを知り、そして、人は強くなっていく。弱さを知ることが強さの始まりで、弱さとは強さの根源を知らないことである。
いい、悪いなんて本当はなくて、心の状態が今の自分を形成しているだけ。全部人間が勝手に思い込んでいるだけと思える強さがあったらどれほど生きやすくなるだろうか。人と人が交わるから競争が生まれる。それと同時に人と人が交わるからこそ生まれる愛もあるのだ。
大切なのは自分に起きた出来事を余すことなく味わい尽くして、現状を認めること。必要なのは現状から目を背けない勇気なのだろう。疲れたなら疲れたと言えばいい。楽しいなら楽しいと言えばいい。そこにしか本当の自分が隠れているのだから。自分の感情を2023年に持っていく必要はなくて。2022年に置いていける荷物はそっと肩から降ろして、身軽になった体で新たらしい年を迎えればいい。