自信のある自分を演じ続けること
先日、学生時代の友人と飲み会を開催した。
積る話もたくさんあって、それはそれは楽しい会だった。自分のことを知ってくれている人とのお付き合いは楽なもので、そこに遠慮や気遣いはあまり存在しない。
何をしたら嫌なのか。何をしたら喜ぶかわかっているから楽しいなって思う。
キャリアに悩む友人。結婚が決まり、新天地へと臨む友人。今の仕事に不満はあるが、やりたいことが見つからないという理由で仕事を続ける友人。
社会人6年目を迎える僕たちは、キャリアについて悩む機会が多い。実際社会人になってからも悩むんだし、今後もキャリアの悩みは尽きないんだろうなって。
心を轟かせて入った業界も、実際に入ってみれば、違和感を感じることだってある。僕自身はベンチャー企業、大手企業を経て、フリーランスとして独立した。
業界の綺麗なところ、汚いところをたくさん見てきた。でもやりたいことがあったから、がむしゃらに走り続けた。その結果独立することができたし、ライターとして生活を成り立たせることもできたという自負はある。
友人からふとこんな話をされた。
「リョウタは自分のやりたい道を選択して、上手いことやってるよ。」
何も言葉を返せなかった。確かに数々のキャリアを経て、独立したと言えば、聞こえはいいのかもしれない。でもまだ1年半しか生き残ることができていないし、実力不足を痛感している自分がいるのは事実だからだ。
失敗だらけだし、いろんな人に迷惑を掛けている。全然上手くやれていないのだ。収入面を考えても、まだまだ全然だし、文章スキルにも自信がない。
「自身の表れが自分の見え方にすべて映るから自信を持ちなさい。今スキルがなくたって、自分のことを盲目的に信じなさい。思考は現実化するから、描きたい未来は自分で描くものだよ」とバーのおじさんに言われたことがある。
その言葉の意味はよくわかっているし、実際そうなんだろうなとも思う。表向きでは仕事を頼まれたときや、やったことがないことでも、自信満々に「やれます」と言っている自分もいる。
自信のある自分を演じているんだろう。でもふと我に返ったときに、自分の実力に絶望したくなる。「どうしてできるって言ってしまったんだろう」と後悔したことも何度もある。
今の自分が上手くいっていないことは自分が一番よくわかっているのだ。それでも世間と戦うためには、自信がある自分を演じ続けなければならないのだ。
居心地のいい環境に居続けることは非常に簡単なこと。でもそれじゃ成長しないことがわかっているから、あえて居心地の悪い環境に身を置くようにしている。
仕事ができる人に仕事ができない人。あらゆる人たちを見てきた。両者の違いはハングリー精神があるかどうか。仕事ができる人はやっぱりハングリー精神がすごい。「何くそここで終わってたまるか」という気持ちがとても強い。
表向きは前向きだとしても、見えないところでは、かなり苦しんでいる。苦しんでいる状況を周りに見せる人もいれば、周りに見せず、涼しい顔をしている人だっている。
今の僕に足りないのはハングリー精神なんだろう。独立までのあのがむしゃらに盲目的に走り続けた情熱を取り戻さなければならない。
自分に自信のある自分を演じること。そして、結果をきちんと叩き出すこと。これが今の自分にマストでやらなければいけないことだ。
もっと貪欲に、もっとがむしゃらに周りが見えないほどに熱狂しなければ、僕の未来はきっと明るくない。
自身の未来を明るくするために、もっとがむしゃらに貪欲に行こう。
自分の未来を切り開くのは自分自身の手だ。まだまだやれることがたくさんあるから、多少無理をしても描きたい未来を描いてみせるよ。