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なんでもないや
火曜日の午前2時、静まったリビングの中で一人文章を執筆している。水滴のついたグラス。ゆらゆらとした水が時間の揺らぎを映し出す。スマホの画面に映し出される通知。知らぬふりをしても、深夜なら誰にも怒られない。時間をかけて、執筆した文章を推敲するなんて、悠長な時間はどこかへ消えた。毎日が一発勝負で、勝った負けたの繰り返し。勝ち越せたことは一度もなく、負け越しばかりが脳裏にこびりつく。
生きるは大変で、生きるは楽しい。うまくいったこと、いかなかったことの両輪が今の人生を形成している。後悔はあれど、納得はしているつもり。過去に浸るよりも未来にワクワクしたいとは思っているけれど、突然やってくる不安に自分のルーツはなんだっけと物思いに耽る。
理想は朝8時に起きて、仕事をする毎日。でも、現実は深夜まで起きてしまっているから、理想どころか不規則な生活になっている。どうにかしたいと思いつつも、どうにもならないと開き直りたい。本当は自由なのに、鳥籠に入れられたみたいに不自由だと思い込んで。狭くなった視野がさらにシビアな世界に引き込む要因と化す。生きるには心の安寧が必要だ。すぐに手に入れたものはその分脆さもある。かといって、苦労したからといって、その努力が実るわけでもない。日々忙殺する誰かからの連絡。でも、誰からも連絡が来ないのもどこか違うような気がする。人生は結局ないものねだりの連続で、隣の芝生は青いと認めることができた順から前に進む。
失ったもの、手に入らなかったものを数えても苦しくなるだけ。目の前にあるもの、手に入れたいものに向かって手を伸ばした方が少しだけ生きやすくなる。前を向きたいけれど、うまくいかない。うまくいっていると気付けない場合もあるため、自分の現在地を随時確かめる時間を持つ必要があるのだろう。
身に起きる出来事はすべて必然で、人生に偶然なんてない。自分で選んだものしか目の前に現れないため、幸も不幸もその手で手繰り寄せているだけなのだろう。深夜3時を過ぎると何も頭に思い浮かばない。着飾りたいわけではない。ただ自分の頭の中にある考えを正しく言葉にしたいだけ。もっといい文章が書きたい。でも、自分にとっていい文章とはどんなものなのだろう。
ライターさんが執筆した文章に赤を入れる。なら、お前が書いてみろと言われても、僕にはライターさんのような素敵な文章を書けない。尊敬の気持ちとありがとうの気持ちで向き合っているのだけれど、それはきっとほんの少しも伝わっていないのだろう。たまに美しい言葉を使いますねと言われる。でも、美しさの裏にある自分の儚さに気付かれているような気がして、素直に喜べない。恥ずかしいが勝って、後悔に包まれる日々。書かなければ良かったと、書いてよかったがぶつかり合っては、紆余曲折を繰り返して、なんとか書いてよかったに繋げている。
集中力が完全に切れた。バルコニーに出て、空を眺める。東京は星が見えないけれど、あいも変わらず輝き続ける月のおかげでなんとか生き延びているような気がする。夜更かしは健康に悪いらしい。そんな周知の事実は知っているのだけれど、自身の力不足のせいでこんな時間まで文章を執筆する羽目になった。不甲斐ないや。情けないや。口に出るのは諦めの言葉ばかりで、明日になったらきっと前向きな言葉が出てくるのだろう。ああ、なんでもないや。とりあえずお風呂を倒してから睡眠を取ることにしよう。
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