できない自分を愛してみる
人に頼ることは難しいことだ。どこまで頼ればいいのか、どこからは自分の力で乗り越えればいいのかがわからないからね。
人に頼ることができる人を見るたびに、嫉妬に似た感情を抱いてしまう。自分も人に頼ることができたらいいなって度々思うことがある。
自分は恋人や家族、友人にも頼ることができない。仕事仲間には自分の抱えている仕事もあるだろうからって、なおさら頼ることができないんだよ。
かつては悩みを相談したところで、自分の中で結論が出ているから話しても無駄かもとすら思っていた。
自分は誰かに頼ってもらうことが嬉しいくせに、相手には頼ることができないってかなり矛盾しているよね。わかっている。わかっているけど、頼ることができないのが僕の弱さだ。
よく人から「愛をもって人と接することができる優しい人」って言ってもらうことがある。もちろんそう言ってもらえることは嬉しいこと。
でもその度に、「自分にはとことん優しくできないし、ただ嫌われるのが怖いだけだよ」って心の中で唱えているし、ほんと弱いよなって思っている。
一番優しくすべき自分にはなぜか優しくできない。新たな困難が出てきた時に、逃げるのではなく、立ち向かうことを自分に強いてしまう。
たまには逃げてもいいと頭ではわかっているけど、いざとなると逃げることを頑なに拒否してしまうんだよ。
その結果勝手に潰れたりしてしまうから、できない自分が露呈し、その度に自分に劣等感を抱いて、自分に絶望したりする。
困難に立ち向かうこと。それは素晴らしいことだけど、そいつに打ちひしがれたしまった時は、自分の力不足を痛感してしまうから、もう何なのこれって感じ。
できない自分が露呈してしまうのが嫌だ。できないってなんかかっこ悪いとずっと思っていた。
でも最近はできない自分を愛せるようになりつつあるし、少しずつだけど人に頼ることができるようになりつつある。
新しい物事に挑戦する時は、「できなかったら向いていなかっただけ。全部はできないし、できないという事実を知ることができてよかった」って前向きに考えることができている。
そしてできなかったらできる人に頼ればいいって考えているんだよ。
ある程度のことは自分でできるようになりたい。でもできないことはできないときちんと認めること。誰しも得手不得手があるのだから、無理なものは無理だ。
できないことは悪いことでない。たとえできなかったとしても、やろうと試みたことに意味があるのだから。
かっこ悪い自分もどんどんさらけ出していこう。
そっちの方が人間臭くて好感が持てるし、自分のできないことを知っている人の方が潔くてかっこいいと思う。
自分の主戦場はなんなのか?
僕の場合は文章だ。文章からはどれだけ辛くても逃げないと心に決めている。だって自分が好きで始めたことだし、そいつで飯を食べていくって覚悟を決めてしまっているのだから。
できることに全力を注ごう。そして、できないことはできないと声を大にして伝えよう。
弱みを補い合える関係性が作れたらいいね。