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だから、失った自信を取り戻す旅に出た

「自信があるからできるんですね」と言われる機会が増えた。独立してライターになったり、編集者になったり、どうやら僕は同年代の友人と比べると、いろんなことに挑戦しているらしい。でも、自信があるかないかと問われたら、「NO」と答えてしまうのだろう。

学生時代は自信の塊だった。なんにだってなれると思っていたし、ある程度のことならなんでも器用にこなしていた。無知とは恐ろしいものである。同年代ですごいと思う人とは出会わなかったし、業界でバリバリ働いている人にもすぐに追いつけると勘違いしていた。

社会人になって、自分よりすごい人はいくらでもいると何度も思い知るたびに、そこにあったはずの自信が呆気なく崩れ去る。文章を書き始めたとき、文章を編集し始めたとき、どこに行っても自分より優秀な人はたくさんいて、彼らには追いつけないかもしれないと目の前が真っ暗になる。No. 1になんてなれやしない。自分の中にあった灯火がかき消される音がする。

自分を支えていたはずのものがなくなり、前を向いて歩く方法すらもわかららない。新たな光を発見したとしても、いつ見えなくなるかの恐怖心がどこまで行っても拭えないまま25歳になった。確かにそこにあったはずの自信の行方もわからず、途方に暮れた先で見つけた答えが「失った自信を取り戻したい」だった。

上には上がいることはわかった。では、その上で自分はどうしたいと何度も心に問い続ける。むしろ何もないからこそ、失うものは何もないと吹っ切れたのかもしれない。

文章を書き始めてすぐに知り合いから「本当に下手くそだからやめた方がいい」と言われた記憶がある。書いた文章を久しぶりに読み返すと本当にお粗末なもので、こんな下手くそな文章をよく世に出せたなと思ってしまうほどだ。才能がない事実への恐怖心から文章をやめようか何度も考えた。でも、知り合いの言葉がいつか見返してやるとスイッチを入れるきっかけとなった。

あまりにも悔しくて、毎日文章について考えるようになって、試行錯誤を繰り返しながら本日まで文章を書き続けている。おかげさまで執筆だけでなく、編集のお仕事もできるようになり、自信がないのであれば、自信をつければいいと思えるようになった。まだ納得がいく文章を書けていないけれど、納得してしまったらそこでおしまいだ。

これから先、何度も文章を書いて、編集し続ける。たとえ何度自信が打ち砕かれようが関係ない。文章に携わって、自身と向き合う。そして、大切なもの大切さを再確認する。それ以外に前を向く術を知らないし、知らなくとも十分幸福に生きていける。

社会人になってすぐに失った自信のすべてはまだ取り返せていない。でも、それでもいいと思える強さを手に入れたような気がする。自信がないなら自信をつけるための努力をするしか選択肢は残されていない。前向きな諦めは新たな可能性を見出すための手段だ。何度だって転んで、転んだ回数より1回だけ多く立ち上がればいいだけの話。

自信があってもなくても、時間は刻一刻と進んでいくのであれば、自信について考えている暇はない。行動あるのみである。新しい何かに挑戦するたびに傷つく心の対処法も少しずつわかってきた。たとえ傷だらけになったとしても、失った自信を取り戻せるのであれば、この身を何度でも差し出そう。そして、いつの日か自分に自信を取り戻せる日が来ればいい。

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サトウリョウタ@毎日更新の人
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