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世界は誰かの仕事でできている

20歳の頃に、工事現場でアルバイトをしていた。いわゆる「きつい・汚い・危険」の3Kに当てはまる労働環境だ。僕にはそこで働かなければならない理由があった。すべてはお金のためである。労働環境がどれだけ厳しかろうと、短時間でお金をそこそこ稼げる。家族を養うために、手っ取り早くお金を稼ぐために、工事現場の仕事を選んだ。

早朝6時に集合して現場に向かう。朝の電車にはくたくたになったサラリーマンばかりがひとつ間隔を空けて並んでいる。新聞を読む人、スマホを眺める人、そのどれもが希望とは程遠い目をしていた。こんな大人にはなりたくないと唇を噛みながら電車に揺られる。自分が早朝から電車に揺られているその一方で、友達たちは呑気な面をして寝ているのだろう。途端にやり切れなくなった。

せっかくの夏休みなのに作業着を着て工事現場へと向かう自分の人生の意味はなんだ?答えのない問いばかりが脳内を駆け巡る。朝の8時に全体集合をかけられて、みんなでラジオ体操を行う。工事現場の至るところに貼られた「安全第一」という張り紙。事故を起こしてはならないというピリついた雰囲気。そして、僕は自分の持ち場へと向かった。

解体工事が終わった現場で、ガラクタになった土木を運ぶ。重量のものもあれば、軽量のものもある。慣れない作業を行う僕にもたついてんと早くやれと怒号が飛ぶ。あたふたしながらも仕事を終えた初日。想像以上に体の疲れが溜まっている。早く家に帰りたいと思いながら帰り支度をしていると、余裕な表情をした先輩たちが談笑している。3Kと呼ばれるこの環境で彼らはなぜ笑顔を浮かべることができるのだろうか。

翌日は岡山への遠征だった。早朝3時に集合場所へと自転車を走らせる。普通の大学生なら夏休みが永遠に続けばいいと願うのかもしれない。でも、僕は夏休みほど地獄な期間はないと思っていた。一刻も早く辞めたい。夏休みよ、早く終わってしまえ。ここは自分の居場所ではない。頭の中を占めるネガティブな言葉が体を蝕んでいく。仮病を使ってでも休むと何度思ったことだろう。それでも家族のために身を挺してやらなければならないことがあった。

無事に岡山での仕事を終えた。翌日は奈良の現場で1ヶ月間稼働らしい。自分の夏休みは奈良で終わる。それも楽しい思い出ではなく、きつい思い出と共に。奈良の工事現場でセメントを作っている人がいた。のちにおやっさんと呼ぶ人である。初日に「お前ほんまに使われへんな」と呆れ顔で彼は僕を見ていた。

カッとなって「まだ3日目なんでできなくて当たり前でしょ」と伝えると、「そんなもん仕事には関係あらへん。3日目でも現場に出てきたらお前はプロとして見られるんや。クソ坊主にはこの言葉の意味はわからんやろうけどな」と言い返してきた。帰り道、おやっさんの言葉が何度も耳の奥に鳴り響いた。

おやっさんはとにかく丁寧な人だった。自分の仕事に誇りを持ち、気に入らないことがあったら面と向かって相手に言う。別の工事現場の人と何度か喧嘩している日もあったけれど、それはいいものを提供したいという気持ちの表れだ。おやっさんの丁寧な仕事ぶりに虜になっていた僕は、毎回仕事終わりにおやっさんの元へ足を走らせていた。

「なんでこんなにきつい仕事をしているんですか?」と気になっていた疑問をぶつけてみる。

「クソ坊主、この仕事はしんどいし、誰かの目に触れられるような大きな仕事ではないねん。でもな、俺はこの仕事に誇りを持っている。工事現場で働く人がいなかったら、家は誰が建てる?道路は?誰もやらんやろ。たとえ汚いとかきついとか言われたとしても、俺がそれをやるねん。ほんで俺が知らんとこでみんな幸せになったらいい。俺はそれで満足なんや」

おやっさんは17歳から工事現場で働いている。貧しくて学歴もない男は自分で力をつけて生きていくしかないといつも口ずさんでいたおやっさん。自分の力で生きていく。それは当時の自分の人生を大きく変えた言葉だった。どのような因果かはわからないけれど、僕はいまフリーランスとして生きている。

「おい、クソ坊主」
「クソ坊主じゃなくて佐藤ですって。早く名前を覚えてくださいよ」
「お前みたいなもんはまだ社会を何にも知らないクソ坊主みたいなもんや」

笑いながらおやっさんは言う。「クソ坊主」と呼ばれるたびに、いつか名前で呼ばせてやると心の中で息巻いていた。

***

仕事中のおやっさんは鬼みたいな人だったけれど、おやっさんの厳しさは思いやりがあって好きだった。最初は仕事が終わったらすぐに家に帰る人だったけれど、僕が毎回おやっさんの元へ足を運ぶものだから、待ってたぞと言わんばかりの顔をして僕を待ってくれていた。おやっさんはお酒が入ると孫の顔写真を何度も見せては「ほら、うちの孫や。可愛いやろ。可愛いと言え」と詰めてくる。孫の写真を眺めているおやっさんの姿は、どこにでもいる普通のおじいちゃんだった。

毎日、おやっさんの仕事ぶりを見てきた。相変わらずクソみたいな労働環境には変わらなかったけれど、できることが少しずつ増えてきている。最初は重くて持てなかったセメント袋も今では3袋も持てるようになった。おやっさんに怒られる回数も減り、今おやっさんに何を求められているかを察知できるようになった。それでもおやっさんは僕をクソ坊主と呼び続ける。

ある日の昼休憩に、おやっさんが僕の元へやってきた。

「なぁ、坊主。お前、俺の仕事を継がんか?工事現場で働き始める奴のほとんどは想像以上にきつかったとすぐに逃げ出す奴ばっかやねん。お前は初日に俺に楯突いてきたクソ生意気なひょろひょろ坊主やったけど、それでも最後まで諦めへん根性だけはある。全然まだまだやけど、根性のあるやつは好きや。どうや?」

セメント作りに命を注ぎ込んできたおやっさんは、現場からの引退を考えていた。でも、跡継ぎがいないため、なかなか引退できない。何十年も注ぎ込んだ大切な仕事をこんな若造に受け継がそうとしている。それがどれほど覚悟がいることなのかは、僕みたいな若造にでもわかった。お酒を飲んだ時に見せるふざけたおやっさんはそこにはおらず、職人の目をしたおやっさんがそこにはいた。

おやっさんの温かい言葉は素直にうれしかったけど、心はピクリとも揺れ動かなかった。なぜ僕が工事現場で働いているのか、将来の展望について丁寧に説明する。おやっさんは真剣な眼差しで聞いてくれた。

「そうか。坊主がここで働いている理由はわかった。挑戦したいことがあるならそれを追いかけるのが男っちゅうもんや」

おやっさんの背中は少し寂しそうだった。それでも最後まで笑顔のまま僕たちはさよならをする。おやっさんは自分の仕事を終えたため、翌日に別の現場へ移動することになった。それ以降、おやっさんとは会わなかったけれど、連絡先を交換していたため、たまに連絡を取っていた。

夏休み最終日まで、工事現場の仕事をやり切った。おやっさんに最後の挨拶を入れるためにポケットからスマホを取り出す。「おやっさん、最後までありがとうございました」とメッセージを送る。するとすぐさま返信が来た。

「とうとう辞めるんか。残念やなぁ。坊主の輝かしい未来のためや。今回は俺も諦めたる。でも、俺の仕事を継ぎたくなったらいつでも連絡してこい。大人は楽しいばかりじゃないけど、辛さを乗り越えた分だけ楽しいことはやってくる。なんて、おっさんのアドバイスなんていらんか。ほな、元気でな」

2023年になって、なぜかおやっさんの顔がいきなり頭に思い浮かんだ。仕事終わりに缶ビールを奢ってもらったこと、電車で深く熟睡するおやっさんに毎回手を焼かされたこと、クソ坊主から坊主に昇格したこと。最後まで名前で呼んでもらえなかったこと。後悔はあれど、おやっさんに教えてもらった大切な教訓は、独立してからもずっと胸に秘めている。

おやっさんに胸を張れる大人になれているだろうか。またどこかでお会いしたときは名前で呼んでもらえるだろうか。きっと、いつまでたっても坊主のままなんだろうな。まあ、それでも悪くないか。なんてね。

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サトウリョウタ@毎日更新の人
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