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生きるをする
生きる。それ自体は簡単な行為なのかもしれない。朝に目が覚めて、夜に眠りにつくだけの行為。よりよく生きたいなんて、生きるに100点を求めなければいいだけの話。無事に1日を終えることができれば、それでいいと思える日もあって、それじゃ納得できない日もある。
丁寧な暮らしがしたい。そうなった途端に話が変わり、どれだけ充実したかが1日の出来を決める。日曜、朝からおしゃれなモーニングを嗜み、お昼過ぎに散歩なんかをして、映画を観るなんかもいい。適当に寝落ちして、夕方ぐらいに目が覚める。日が暮れるとともに、晩御飯の支度をして、YouTubeをお供にご飯を食べて、20時ぐらいには風呂に入りたい。今日は美容の日だからと適当な理由をつけて、化粧水だけじゃなくて、顔にパックをする。そして、月曜に備えて23時ごろには就寝できればそれはもう最高の日曜だ。
生きる。その行為自体にはなんら意味はなく、意味を見出すのは自分自身だ。ある人が0点だと言ったとしても、本人からすれば100点満点なのかもしれない。「つまらない」を構成しているのはいつだって自分自身だ。そこから逃れることができなかったという事実だけは忘れるなといつも自分に言い聞かせている。
毎日が幸せだったらいいと思いはするものの、たまには嫌な終わり方があってもいい。100点満点ばかりでは、幸せの基準が高くなりすぎるため、日々の当たり前の幸せを幸せだと認識しにくくなる。なんて言いながらも、僕はずっと幸せな日々ばかりを願っている愚かな人間だ。
生きるをする。死なないように生きる、生きているだけでえらいわけなんてない。えらいとか、えらくないとかそういった類のもので自分をジャッジしなくても良いんだよ。
幸せになりたいっすね。そうですね。わかりますよ。わかります。だったら幸せになる努力をすればいいじゃないの。でも、生きる行為には。いつだってめんどくささが伴うんですよ。でも、だって、たられば、もしもは幸せを遠ざける言葉だ。心身が赴くままに好きに生きればいいよ。そうですか。お互いが気ままなら楽でいい。なんて生産性のない会話がずっと続けばいい。なんてことを考えながら、この文章を喫茶店で書いた。
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